毎週、様々なテーマでお送りする、
Housing Column。
第 44 回
【晴海トリトンスクエア物語 (14)】
隅田川の歴史とカッパ伝説
トリトンスクエアのある晴海は、
以前ご紹介
したように東京湾に作られた埋め立て地のひとつ。海と運河、そして川に囲まれた場所で、銀座方面からトリトンに来る多くの人は、必ず「隅田川」を渡ってくることになります。隅田川と言えば、春は桜、夏は花火、屋形船で下ってみれば、吾妻橋の浅草から、両国橋には国技館、築地が見えて、勝どき橋からは晴海トリトンと、ご存じの通り名所が目白押し。パリのセーヌ川、ニューヨークのハドソン川同様、都市を代表する河川です。今回は、そんな「隅田川」の歴史をちょっとご紹介しましょう。
●その昔江戸は、川の氾濫と合流を繰り返す大湿地帯
まずは隅田川の誕生からお話しを始めましょう。
古代の江戸湾は、現在の内陸に大きく広がっていて、広大な浅瀬でした。また江戸は海水と幾多の川の流れが入り交じる大湿地帯だったのです。現在の千住近辺から千葉県の国府台にかけて、およそ10キロの幅の中に大きな5つの川がひしめきあっていました。「波瀬川」と「利根川」「荒川」「綾瀬川」「入間川」です。ひとたび大雨になると、各々の川は氾濫と合流を繰り返し、大きな濁流となって江戸湾に注いでいたと言われています。江戸は、とても人の住める場所ではなかったのです。
●川との戦いだった江戸の起源
この湿地帯を都とするべく開拓したのが、豊臣秀吉の命で江戸に入った徳川家康でした。家康は早速“治水事業”に乗り出します。江戸の開発は、上記の5つの川の「瀬替え」(川の流れを変えたり、合流させたりすること) にあったといっても過言ではないのです。まずは、江戸に流れ込む「波瀬川」と「利根川」を千葉県の銚子から太平洋へと流して「利根川本流」とし、その分流を合流させるなどして「江戸川」「中川」とし、「荒川」の主流を南下させて瀬替えを繰り返し、最も南を流れていた「入間川」と合流させて「隅田川」としたのです。そう、現在の「隅田川」は自然の力を利用しながら人間が整備してつくった川とも言えるのです。
●東洋のベネチアだった水の都・江戸東京
湿地帯や溜まり池は、江戸城の堀のために掘った土や、お茶の水などの高台の土を切り崩して埋めました。隅田川は幹線水路としての役目も担っていました。東北からの物資は房総半島を回って江戸湾に入らなければならず、当時その航路は大変危険でした。そこでそれらの物資は、銚子湊や那珂湊へ入り、川船に乗せ替えられ、中川・荒川・小名木川を抜けて隅田川へと出たのです。そこから日本橋へと通じる日本橋川や、築地川(今は暗渠や陸地は公園や駐車場となっている)を経て、中心部へと運ばれました。運河や“掘り割り川”をつくって、この水路を物資の運搬路としたのです。現在の首都高速の一部は、堀や“掘り割り川”を道路に整備したもので、それ以前の江戸・東京はベネチアのような水の都だったと言われています。
●蒸気船も走っていた隅田川
水路が主流だったのですから庶民の生活は幹線水路たる隅田川の両岸を中心に発達しました。江戸も中期から後期となると成熟し、隅田川での船遊びや吉原へは猪牙舟 (ちょきぶね) で出掛ける風景などが浮世絵や落語に登場するのはご存じの通り。隅田川の発達は江戸文化の発達でもあったのです。
明治に入ると外国船が江戸湾に入るようになり、築地が外国人居留地として開かれます (その名残が、聖路加国際病院)。また明治4年には、隅田川から別れる小名木川を経て利根川に抜ける「川蒸気船」の航路も開かれました。その後この川蒸気船は、吾妻橋〜永代橋間でも航行され、一区間の料金が一銭だったことから「一銭蒸気」と呼ばれるようになりました。
その後、工業の発展で絶えず悪臭がするほど川が汚れたこともありましたが、最近では浄化や川辺の整備も進み、都民の憩いの場として愛され続けています。
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●隅田川とカッパ伝説
昭和50年代から平成9年まで、毎年10月1日「都民の日」に“カッパのバッジ”が小学校や役所などで購入できたのをご存じでしょうか。このバッジを購入すると、指定の遊園地や動物園に無料で入場することが出来るという都民サービスのひとつでした (都内に住む小学生は帽子などにつけていた)。でも、なぜカッパなのか…。実はこのカッパと「江戸東京を育んだ隅田川」には深い縁があるのです。冒頭にお話したように江戸は大湿地帯で治水が最も大切な事業でした。当時の隅田川には代々カッパが住み着いていて、彼等と庶民が力を合わせて治水工事を行ったという伝説があるのです。いわば、カッパは江戸東京を作った友。だから都民の日のバッジがカッパだったのです。ちなみに江戸言葉の「そんなの簡単さ、大丈夫」という意味の「へのカッパ!」は、この工事中に溺れかけたカッパが「屁」の力で見事に浮かびあがり、「たいしたことないよ」と言ったのが始まりという説がありますが、真偽は定かではありません。
みなさんの暮らす街にも、川や海、池などの水辺が、なんらかの形で在るかと思います。たとえ小さくとも、そこには以外な歴史があったり、土地の性格を知るエピソードが残っていることも少なくありません。地盤の事を知るためにも、またその土地に愛着を持つためにも、ぜひ調べてみてください。カッパのような楽しい伝説もあるかもしれませんよ。
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