毎週、様々なテーマでお送りする、
Housing Column。
第 63 回
【東京臨海地域・水辺の暮らし探検】
〜品川編〜

 『東京の臨海地域』『ウォーターフロント』と聞いて、何を思い浮かべますか?
 ショッピングセンターが話題の『豊洲』、天然温泉施設のある『青海』やフジテレビのある『お台場』、このコラムでお馴染みのトリトンスクエアのある『晴海』、運河がお洒落な『芝浦』や『品川天王洲アイル』、企業の本社ビルや日本テレビが移転してきた『汐留』などの名をイメージする方が多いのではないでしょうか。
 新しい街だからこそ注目を浴びていますが、一方で『歴史がない』『美味しい老舗や伝統がない』『どうせ埋め立て地』『暮らしにくそう』などというネガティブなイメージも持たれがちです。
 しかし!よくよく調べてみれば、晴海と同様に実は歴史を持っていたり、巧みに自然を再生させていたりしているのです。新しい街だからこそ気になる「暮らしやすさ」。そんな視点で、話題の臨海地域を探検してみましょう。今回のテーマは「品川」です。

●品川駅は品川区にない! ○か×か


 これはご当地検定や雑学クイズによく登場する問題。正解は○!JR品川駅は港区にあります。今回は、この品川駅辺りから探検を始めましょう。
 品川駅といえば、東海道新幹線が停車するようになり、駅がリニューアルされたのは記憶に新しいところ。されど江戸時代にさかのぼれば、駅の東側 (海側) は遠浅の海でした。ここも近代になって埋め立てられて誕生した新しい街なのです。数十年前までは国鉄の土地で、貨物ヤードや倉庫が建ち並び、夜ともなれば真っ暗、人通りの少ない街でした。しかし現在では再開発が進み、丸の内から移転してきた様々な企業のビルが建ち並ぶ一大オフィス街となっています。駅東側にも駅ビルが出来、お洒落なショップやレストランが入っています。ちなみに、人気があるのはニューヨークのグランドセントラル駅構内に本店があるオイスターバー。仕事帰りや新幹線に乗る前に、新鮮な牡蠣で白ワイン…なんて楽しみ方が新たな品川スタイルとなっています。
品川駅

●品川随一のそば屋の先に江戸品川宿と天王洲アイル


 お洒落な「味」だけではありません。オフィス街を南東にしばらくいくと、「手打ちそば しながわ翁」と書かれた小さな間口の上品なお店を発見できます。ここは手打ち蕎麦の世界では有名な煖エ邦弘氏のお弟子さんが営む、知る人ぞ知る名店。昼時となれば、オフィス街の人や地元の人でいっぱいになります。ふとこの店の住所を確かめてみれば、品川区北品川一丁目。ここから運河を渡り、海側にいけば天王洲アイル、南側にいけば、江戸四宿として隆盛を極めた東海道・品川宿があった地域なのです。地図で確かめて頂ければわかるとおり、「天王洲アイル」や「品川シーサイド」といった新しい街と、歴史ある街は目と鼻の先。話題の臨海都市のひとつ「品川」は、新旧の文化が混在する街でもあるのです。

●古 (いにしえ) の品川宿


 品川宿と呼ばれていたのは、駅で言えば京浜急行「北品川」「新馬場」「青物横丁」あたり。江戸湾 (品川湊とも言う) に注ぎ込む目黒川を境に、北品川宿と南品川宿に別れていて、さらに北品川の北に新町ができ3宿で一つの宿の機能を果たしていました。
 東海道の最初の宿場町である品川は、旅に出る人を見送りや出迎えに来る街でもあり、大名が泊まる本陣や脇本陣の他に、旅籠や料理屋が並び、芸者衆が行き交う一大遊興地でもありました。海に面した地形の美しさもあって、江戸っ子はもちろん、地方から江戸へ来た人にも愛されていたのです。かの幕末の志士、清河八郎も母親との旅行の際の記録に「品川は海に望み、人家が美しく、朝見る海上からの朝日は格別だ」と記しています。また東海道五十三次の浮世絵で有名な安藤広重も、写生旅行の際に何度も品川宿に立ち寄っていたことが日記に記されています。
 明治維新以降、陸蒸気 (蒸気機関車) が品川〜横浜間に開通すると共に、宿場町としての機能は薄れていきましたが、目黒川の水源・水運力を利用するために、近辺に様々な工場が移転、工業地帯として発展していったという歴史があります。
 街をそぞろ歩いてみれば、慶応元年創業の履き物屋さんや、老舗和菓子店、海苔店など江戸・明治・大正を思わせるお店を、今でも発見出来ます。
目黒川

●天王洲にある江戸の遺産


 一方、新しい街「天王洲アイル」にある“シーフォートスクエア”は、オフィス・コンドミニアム・ホテル・店舗・劇場、そして通過するモノレール駅を建物内に取り込んだ複合施設。北川護岸には自然石を使い、運河に面した広いボードウォーク (板張りの遊歩道) を設けています。この遊歩道は品川区の公園で、24時間いつでも利用可能。向かい側には、倉庫の躯体を残して改修したクリスタルヨットクラブがあり、お洒落なスポットとして住民の憩いの場となっています。実はここ、江戸末期に築造半ばで終わった第四お台場跡。天王洲には台場の石がそのまま使われている部分もあります。言わば足下は江戸。江戸の遺産を巧みに利用した新たな街、それが天王洲アイルなのです。

●人工の街でも、自然が押し寄せてくる


 自然の再生も少しずつ進んでいます。明治以降、工業地帯として栄えたため、汚れてしまった目黒川も近年では水の浄化が進み、ボラが帰ってきたという情報もあります。
 また、新幹線の基地もある八潮まで脚を伸ばしてみれば、人工の公園ではありますが、たくさんの自然に出会えます。1981年にオープンした運河沿いの「なぎさの森」には、湿地と森、干潟、磯などがあり、10数年で自然に戻ったと言われています。魚や貝、海草類、そしてそれを食べる水鳥も帰ってきました。人の手でつくられた街でも、大切に守り育てれば、自然の方が押し寄せてくるのです。

●運河ルネッサンス推進中


 東京都では今、このような江戸情緒と新しい街の胎動、自然の再生、そして運河を再利用して、運河沿いの水辺の賑わいの創出を目指す「運河ルネッサンス」を推進しようとしています。江戸の頃は、水の都ベネチアに例えられたという東京。いつの日か、品川や晴海にある運河と運河を結ぶ船が登場したり、通勤や通学に運河を使ったりと、水辺だからこそもっと暮らしやすい街になるかもしれませんね。
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