毎週、様々なテーマでお送りする、
Housing Column。
第 65 回
味わいのある日々
〜飛騨高山に探る暮らしのAji〜
趣き編
あつあつの鍋、新鮮な魚介、美味しい冬野菜…。空気もきりっと澄んで、味わい豊かな旬の味覚に食も進む季節です。今回は、そんな美味なる季節にちなんで“暮らしの味わい”をテーマに取り上げてみました。
古来より高い木工技術が育まれ、日本を代表する住まい「合掌造り」を生んだ飛騨の国。木を生かした味のある家具づくりや建築で知られ、伝統の文化を今に受け継ぐこの街には豊かな趣きがあふれています。暮らしに根ざした風情ある文化が魅力の飛騨高山。この街にスポットをあて、感性で味わう暮らしのヒントを探ります。
第1回は「趣き編」。今に伝わる伝統の工芸品や祭りなど、豊かな趣きに彩られた飛騨の暮らしをご紹介しましょう。
●情緒あふれる山国の都
深い山々に囲まれた古都・飛騨高山は、江戸時代にその礎が築かれ、「旦那衆」と呼ばれた豪商や、全国にその名を知られる木工職人「飛騨匠」を中心に商人町として栄えてきた街。京の雅と江戸の粋を織り交ぜた独特の文化が花開き、その風情あふれる街の姿は江戸時代より今日まで大切に受け継がれています。
●ドイツの建築家も驚嘆した住まい
木の国飛騨が育んだ比類なき木工職人、それが「飛騨匠」。その高い技術は古来より日本全国に知れ渡り、現在では重要文化財となっている寺院や彫刻も数多く残ります。
世界遺産に登録されている白川郷の民家「合掌造り」もその一つ。大きな切妻屋根が特長で、その形が両手を合わせて合掌しているように見えるところからそう呼ばれるようになりました。江戸時代の建築にもかかわらずその構造は驚くほど合理的で、ドイツの著名な建築家ブルーノ・タウトは「極めて論理的、合理的で、珍しい庶民建築」と高く評価しています。
【
合掌造りの構造はこちら
】
合掌造りのユニークな点は、その大きさにもあります。日本の古い民家としては極めて珍しく、4〜5階建てという大きさ。現在の私たちから見てもうらやましくなるような住まいですが、この大きさにもちゃんと理由があるのです。日本でも屈指の豪雪地帯だった白川郷は米の収穫が少なく、養蚕やワラ製品づくりを主な生業としていました。多くの労働力が必要だったため分家をしない大家族制となり、結婚できるのは家長の長男だけだったといいます。そのため、大きな家が必要となったんですね。家では1年中炉でマキを焚いていて、黒くいぶされた木はなんとも味がありますが、その煙が虫除けになって家を長持ちさせていたのだそうです。今は少なくなった大家族での暮らし。自然との厳しい共存の中で、家族が日々助け合い、村全体が寄り添って生きていた時代に、なんだか温かさが感じられますよね。
ちなみに、高山の街にも豪商や造り酒屋が残した情緒あふれる民家が数多く残ります。匠の技が随所に生かされた堂々たる住まいはいぶし銀のような光をたたえ、重要文化財に指定された「日下部民藝館」は、かのロックフェラーが入手を熱望したという逸話もあるそうですよ。
日下部民藝館
●木地の美しさが際立つ伝統の逸品
「飛騨春慶」は国の伝統工芸品にも指定された飛騨を代表する工芸品。木地の美しさが透けて見える艶やかな琥珀色の漆器で、使うほどにその光沢を増し、味わい深い風合いを楽しめるのだそうです。また、木地そのものの美しさを生かすため、沈金や蒔絵などが一切施されていないことも大きな特徴。木を見極めその美しさを最大限に引き出す木地師と、複雑な行程で独特の透明感を出す塗師の、熟練の技を融合した芸術品なのです。
江戸時代初期、宮大工の棟梁が打ち割ったサワラの美しい木目に心を打たれて盆を作り、茶人・金森重近に献上。その盆に惚れ込んだ重近が、御用塗氏に塗りを命じたところ見事な透き漆に仕上げたことが始まりとされています。飛騨春慶の名は、茶道の名茶器「飛春慶」にその色合いが似ていたことから付けられました。この漆器は、染み出てくる漆の油分を丁寧に拭いてやることで艶を増し、塗面も強固になるのだそうです。
もう一つ、飛騨春慶と並び高山の名品となっているのが「一位一刀彫」。飛騨の銘木“一位の木”をノミだけで彫り上げ、彩色をいっさいせずに木目の美しさを生かす繊細な彫刻です。この木は油分が多く、時とともに自然の艶を増して美しくなっていくことが特徴。一位の木はイチイ科の常緑樹で、約800年前の天皇即位の折りこの木で作った笏 (しゃく) を献上したことから、位の正一位にちなんで賜ったと伝えられています。
古来、木に魂が宿ると信じ、木が必要な時には心に痛みを感じて切り倒したという飛騨の匠たちは、木を決して粗末に扱うことなく、いかに木を生かすかに心を砕いたといいます。木の美しさそのものを引き出し、時とともに味わいを増していく伝統の工芸品は、そんな木の国の思いから生まれたものなのではないでしょうか。素材に感謝し、素材の美しさを堪能する。シンプルで奥の深い味わいですよね。
飛騨春慶
●日本で最古のぬいぐるみ?
高山の街を歩くと目に入るのが、赤い姿がかわいらしい人形「さるぼぼ」。日本で作られるぬいぐるみの原型となった人形で、飛騨では赤ちゃんを“ぼぼ”と言うことから、猿に似たこの人形を「さるぼぼ」と呼んだそうです。赤い色は病気を除けるとされていたことから子どもの厄祓いを願って母親が作ったもので、抱き人形として親しまれていました。また「お針始め」といって、子どもと一緒にこの人形を作りながら、裁縫を教えていたそうですよ。
マスコットとしてかわいいのはもちろんですが、シンプルな形なので、厄除けや健康を願いながらお気に入りの生地のオリジナルを楽しむのも、ちょっとやさしい暮らしの味わいになるかもしれませんね。
さるぼぼ
●日本三大美祭に数えられる荘厳な祭り
春の訪れを告げる春の山王祭 (日枝神社)、冬支度の季節を知る秋の八幡祭 (桜山八幡宮)、飛騨の「高山祭」はこの二つの総称。“動く陽明門”と謳われる豪華絢爛な屋台が曳き回され、総勢1,000人にもおよぶ行列が、獅子舞や大太神楽、雅楽などを披露しながら街を練り歩きます。夜には屋台に灯される100個もの提灯がゆらゆらと闇を飾り、美しく幻想的な光景が繰り広げられます。
この祭りの最大の特徴は、重要有形民族文化財にも指定されている豪華な屋台。もとは江戸の屋台を模したもので、そこに京の雅やかな文化が融合し、絢爛豪華な独特の屋台芸術が花開きました。高山の屋台がここまで豪華になったのは、旦那衆と呼ばれる豪商が惜しみなく財を注ぎ込み、飛騨の匠がその卓越した技を存分に発揮したことによるもの。匠の技と旦那衆の心意気が結集した、飛騨の誇りです。最も有名な屋台は、京都西陣織りの豪華な垂れ幕をかけ、谷口与鹿、和四郎という二人の名工による見事な彫刻を飾る、秋の「五台山」。また、春の「恵比寿台」は金具がすべて純金でメッキされ、使われる金の量は155kgにもなるそうです。
屋台を維持・管理するのは、それぞれの屋台組です。江戸時代、この屋台をつくるために資金を出し合った有志がその始まりで、組の人々は借財してでも屋台を守り磨きをかけたといいます。この屋台はどの部分を見ても、一つとして同じものはありません。型にはまることなく、祭りの夢を追い、競って、独自の美しさを追求してきた屋台組の人々。美しく壮大な祭りの奥底には、その情熱と誇りが今もしっかりと受け継がれています。
本来、祭りは神社の神を慰める「神賑い」の行事として始まったもの。人々は神様の大前で努めて賑々しく振る舞い、盛大な祭りを行うようになりました。神と人との饗宴であった祭りは、時とともに人と人との交流の場、庶民行楽の場として楽しまれるようになったのです。
高山祭もまた、神に豊作を祈願し、収穫を感謝する祭りといわれています。決して絶えることのない壮麗な祭りの根底には、きっと今でも飛騨の人々の厚い信仰心、屋台を思う心意気があるのでしょう。
米の収穫を多く望むことのできなかった山深い都で、豊かな木々に感謝し、自らの技を磨き工夫をこらすことでその恩恵を授かってきた飛騨の人々。そこに生まれた奥深い文化の味わいに触れ、その思いを日々に重ねると、ちょっと心豊かであたたかな日々を過ごせるような気がしませんか。
次回は「美味編」。飛騨に伝わるさまざまな伝統の味をご紹介します。
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