毎週、様々なテーマでお送りする、
Housing Column。
第 67 回
住まいの境界を読む
―延吉のマダン―
篠原 聡子 (一級建築士)
延吉に出かけたのは、ゼミの卒業生の結婚式に出席するためだった。延吉とは、北朝鮮との国境の町・図們にも程近い、中国の地方都市である。
「今度結婚することになりました。」と、その卒業生が報告に来たとき、結婚式に来てください、と頼まれたのか、あるいは頼まれもしないのに、私の方から出席します、と言ったのだったか、2年前のことなのにすっかり忘れている。いずれにしろ、とっさにこんなことでもない限り行くことはないだろうから、またとないチャンスだと思ったことだけはたしかである。中国の凄まじい経済発展の中、北京や上海の様子は、知る人も多いだろうが、地方都市に関する情報はそう多くはない。しかも、庶民の暮らし (凄い富裕層か、かなりの貧困層の話は多いが) となれば、なおのことである。
延吉の空港に降り立つと、卒業生の張さんと連れ合いになる男性が空港に迎えに来てくれていた。出迎えの赤い花束はかなり照れくさかったが、忙しい合間を縫って彼らは、私の希望通り、色々なタイプの住宅を案内してくれた。延吉は延辺朝鮮族自治州の中心地で、朝鮮族が多数住んでいる町だが、大きな道路によって区画された街区は、近代建築が立ち並び、そのカラッとした印象が、どこかアメリカの地方都市をおもわせた。ここでもまた中層の古い建物がどんどん新しい超高層にとって変わろうとしており、経済発展の波がこんな地方都市まで、あまねく押し寄せているのかと、驚くばかりである。
しかし、例によって私にとって最も面白かったのは、かなり老朽化した集合住宅の一群だった。卒業生の叔父さんの120m
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はあろうかという新しく立派な集合住宅(ただし、これは日本と比べて大きいというだけで、中国の近年の住戸としては、特別な大きさではない)を見せてもらったあと、ホテルに送ってもらう途中、車の中から古い低層の集合住宅がみえた。通りに面して中国風のゲートがあり、スチールのサッシに、レンガの外壁が年代ものであることを物語っていた。
ゲートの内側には、階段室型の集合住宅が平行配置されているのだが、ゲートが領域感を出しているので、住戸の窓際にぺたりと座って話込む住人がいたり、住戸から下屋をだして店にしたところでお茶を飲んだりと、春ののどかな戸外空間が広がっていた。しかし、この住宅群のユニークなのは、その隣棟間の各階段室の前の設えである。階段室ごとに隣棟間が1.5メートル程度の低い倉庫によって区画されており、階段室への前庭のようになっているのである。もともとの計画なのか、後から区画されたものなのか、どの階段室の前も、この倉庫によって区画された前庭がある。
前庭は、それぞれに様子が異なる。自転車やリヤカーの駐輪場になっているところも、洗濯物干し場になっているところもあるが、概して倉庫の中は、どうもキムチの置き場所になっているようだった。中でも、わりにきれいに整理されて、キムチの保存用とおぼしき壷がならべられた前庭は、とくに印象に残った。それはちょうど韓屋のマダン(中庭)のような、住み手の生活感が感じられて、ほっとする空間に住みこなされている。しかもただ、ものがあふれ出した生活感というのではなく、その空間には居住者の生活文化が感じられた。
集合住宅版マダンには、居住者の空間を住みこなすタフさを感じた。それと同時にこうした私的領域と公的領域の境界上の空間こそが、住まいをデザインする鍵なのではなのではないかと思う。(こうした実感が、前回紹介したフィールドノートをまとめるにあたって、「境界」を通事的な視点とした所以である。) 境界上の空間が如何につくられるかが、住まいの質に大きく関わる。それは、人を繋ぐ空間であると同時に、機能も所有も曖昧な場所という意味では揉め事の空間でもある。揉め事を避けようとすれば、そもそもそのような空間をつくらないか、あってもきっちりとした制約をかける、ということになり、直接居住者のコミュニケーションには関わらない空間となる。
延吉で見つけた階段室の前庭が、境界上の、しかも住棟間という本来無味乾燥した空間でありながら、マダンのような豊かさを持っていたのは、なんと言ってもキムチのお陰だと思う。キムチを漬けるには大きなスペースが必要だし、それをストックしておくにも場所がいる。居住者たちは、たぶんそう広くはない住居の中で、それらを解決する方法と場所をその空間に見出したのだろう。この場所におけるキムチは、モノであると同時に行為でもある。日常であると同時に、文化である。(キムチを漬けるのは、しばしば共同でおこなわれ、冬を迎える前の、一種のお祭りのようでもあり、お茶やお菓子が振舞われることもある) 境界上の空間とキムチとの出会いが、ふと誘い込まれるようなマダンをつくったに違いない。
今も小さな集合住宅を設計しながら、この場所にとっての、そして私たちにとってのキムチは何か、考えているところである。
一級建築士
1958年 千葉県生まれ、1983年 日本女子大学大学院修士課程修了、1983〜85年 香山アトリエ勤務、1986年 空間研究所設立、1997年〜 日本女子大学専任講師、現在 日本女子大学准教授。 主な著作:変わる家族と変わる住まい <自在家族>のための住まい論 (彰国社 2002年)、住まいの境界を読む 新版 人・場・建築のフィールドノート (彰国社 2008年)。主な受賞歴 (作品):大阪府営泉大津なぎさ住宅 (仮称) 設計競技1等、東京建築士会住宅建築賞 (RIGATO‐F)、グッド・デザイン賞 (superar kinuta)。
空間研究所
協力:
(社) 東京建築士会
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