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住まいと暮らしのハウジングコラム
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デコボコの家 - 星野 知子 (女優)
第 1 回
デコボコの家
星野 知子 (女優)
思えば、私の生まれ育った家はとても変でした。父と母が結婚した当初は小さな平屋だったそうです。その後、私と妹が生まれ成長するにつれ、部屋を増やし、二階をつくり、さらに二階を拡張し、と建て増しを繰り返して、変な家になったのです。
説明してもわかりづらいのですが、玄関を入ってすぐ急な階段を上って二階へ行きます。部屋は3つあって、廊下の突き当たりに5段下がる階段がありました。とん、とん、とん、とん、とん、と下りたところが私の部屋です。その5段の階段と直角に一階に下りる階段がありました。工事の度に出来上がる壁や階段は、素材も色も異なっていて、継ぎ接ぎのデコボコで、とにかく変でした。
遊びに来た友だちは「ここんち、おもしろいね」と、階段を上り下りしていましたが、私たち家族にとっては、とりたてて変でも不便にも感じてはいませんでした。住んでいると、慣染んでしまうものなんですね。
本当におかしな家だった、と家を見上げてつくづく感じたのは、その家を壊すことになったときです。
父が亡くなって数年が経ち、傷みが激しくなってきました。私も東京に住んでいますし、母も東京暮らしに慣れて、滅多に帰らなくなっていました。
住む人のいない家はさびしいものです。思い切って、取り壊すことにしたのです。辛かったですね。大掃除をしながら、いろいろなことを思い出しました。大屋根に布団を干して、その上でウトウト昼寝をした気持ちのよさ。クリスマスに、6畳の和室を色とりどりのモールで飾り、はしゃいだこと。そういえば、子どものころ座敷の壁に座卓を立て掛けて滑り台にして遊び、大目玉を食らったことがありました。。壁にその傷が残っていて、ちょっと涙ぐみました。冬に半纏を着てこたつに入っていた父の姿。狭い台所と居間をいつも行ったり来たりしていた母の姿。子ども部屋に白いゴムひもを張って、ゴム飛びの練習をしていた私と妹。家は、形を変え、大きくなりながら、私たち家族を見守ってくれたんですね。
もうその家は消滅しましたが、私の心の中では消えることはありません。デコボコだったからこそ、世界にひとつの、私たち家族がつくっていった我が家だった、としみじみ思います。
これから先、自分で家を建てたいと思っています。もちろん便利で暮らしやすいほうがいい。でも、どこか私の育った家の面影のある家にしたいですね。取り壊すとき、記念に持ってきたものがあります。居間の小さな明かり取りの障子です。凝った細工は、今ではなかなかつくれないもの。いつか、この障子をいかした家をつくるつもりです。
新潟県長岡市出身。法政大学社会学科卒。NHK連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」で主演デビュー。女優業の他、「ミュージック・フェア」の司会や「ニュース・シャトル」のキャスターなども務める。ドキュメンタリー番組への出演も多く、アマゾンやペルー、シベリアといった秘境も含め、世界50ヶ国以上を歴訪している。映画「失楽園」で、1998年日本アカデミー賞助演女優賞優秀賞を受賞。現在、NHK-BS2「週刊ブックレビュー」に司会者としてレギュラー出演中。主な著書に「トイレのない旅」、「食べるが勝ち!」(講談社)、「パリと七つの美術館」(集英社)などがある。
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