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Housing Column ハウジングコラム

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第 66 回
住まいの境界を読む
―北京のアウトドアリビング―
篠原 聡子 (一級建築士)

 北京オリンピックも目前となり、日本でも選手の最終選考やら、物議をかもした聖歌リレーやら、その話題がマスコミに登場しない日はない。私が昨年の夏、北京を訪れたのはオリンピックとはなんの関係もなく、学生のワークショップと住宅の調査をかねての旅だったが、行ってみれば、まさに北京全体がオリンピック村の工事現場のようだった。ヘルツォーグ&ド・ムーロンの「鳥の巣」(北京国家体育場) のような直接競技に関わる施設はその全貌を現しつつあり、市街の王府井のような大通りはすでに、すっかり近代的な建築で埋め尽くされて、古都北京の面影は一掃されていた。たぶん、東京オリンピックのときもこんな大騒ぎだったのだろうと、想像してみたりしたが、東京の場合はその前に空襲でほとんど焼け野原になっていたわけだから、すでに古都などという風情は片鱗もなかったに違いなく、北京のような新旧の葛藤を見ることもなかっただろう。
 というのも、確かに表通りは、そのような新生北京にすっかりと様変わりしていても、そのブロックの内側に入ると、場所によっては明や清の時代の四合院住宅が立ち並び、胡同 (フートン) の風情を垣間見ることができた。四合院は、もともとは一家族のための住宅だが、政府によって摂取されたとき、数家族の住宅に分割され雑院と呼ばれる、いわば集合住宅になっている。私のような居住者の住みこなしと建築のせめぎあいが面白いと思う人間にとっては、この上なく興味をそそる対象なのだが、見ようによってはスラムのようでもあり、オリンピックを前にして、一掃されるべき舞台裏として、粛々と取り壊しが進んでいた。
 撤去の予定が貼り付けられた家屋や今まさにその掲示がなされようとしている現場も目撃した。大きな仮囲いの中を覗くと古い四合院の立ち並ぶ胡同 (フートン) がブロックごと収まっているような光景もあった
 そんな光景にカメラを向けていると、現場を警備している赤い腕章をつけた、眼光の鋭い若者が近づいていきた。あわてて、その場を立ち去る。そんなことを何度となく繰り返しているうちに案内を頼んだ、通訳兼ガイドの男性も、そうした場所を好んでいく私の同行をほとほと嫌がるようになり、2日目あたりから、中年男性のガイドとの関係はかなり悪くなっており、私が地図を片手にガイドを引きずりまわすという状態になっていた。
 それでも、あらかじめ法政大学の高村雅彦先生からきいていた、すでに数少なくなったという里弄は是非みておかなくてはならないと思っていた。里弄は、紫禁城を取り囲む四合院のような官僚や上級市民のための歴史的な建造物ではない。都市の人口が爆発的に増えたときにできた庶民のための中国式の長屋、ローハウスである。里弄の並ぶ小道は、小住宅が面した小さな道という意味では路地といってもよいようなものだが、日本的な路地とはかなり異質なものである。日本の路地なら、長屋の軒下に植木鉢が置かれ、窓には格子がはまるか、簾が下りている、そんな風景を思い浮かべる。つまり、弱い線を重ねるような領域の形成があるが、私のみた里弄では、道と住宅の境はきっちりと塀で区画されていて、塀にうがたれた扉が開かないかぎり、中の様子を知ることはできない。(ちらっと、のぞいた内部には小さな中庭があって、構成としては四合院の縮小版という感じだった。)
 したがって、私的な住まいからの、さりげない表出が路地の雰囲気をつくるというような類のことは一切ないのである。そのかわり、人々は、その小道にソファーやらテーブルを持ち出して、あたかもそこが居間であるように、のんびりと話し込んだり、新聞を読んだりしているのである。アウトドアリビング、といったところだろうか。
 私たちがその道にはいっていくと、新聞を読んでいた老人がちらりと私の方をみたが、また新聞に視線を戻した。そう悪人にはみえない外来者を、滅多なことをするようでなければまぁ、許容しようというところだろう。そのお互いの配慮の上に成り立つ距離感は私たちが忘れてしまったものなのかもしれない。
 この小道は住宅の外部だが、住まいの方がバックヤードで、この小さな街路空間の方が居室空間のような、妙な感じにとらわれる。ここでは、むしろ個々の住戸がしっかりと壁で閉じられていることが、このアウトドアリビングの自由度を高めているし、そうしてできたこの空間は、住まいの内部と同等に、あるいはそれ以上にここでの生活にとって大切なものであるに違いない。上・下水道など都市としてのインフラが整備されていない状態で人々が密集して住むには、それなりの連帯が必要であったということだろうが、そのような歴史的・社会的な背景から切り離したとしても、住人同士、そして他者に対する絶妙な距離感をもつその空間は魅力的なものだった。

 住まいを開く、とはいうは易しで、少子化からも高齢化からもその必要を説くことはできるし、実際、個人や家族の孤立に建築が加担してきたのも事実だと思う。しかし、それはガラス張りの大きな開口部をつければいいというものではないのではないか。現実にはもっと多様な人を繋ぐ仕掛けがあるのでないか。そんな思いが、私をフィールドワークに駆り立て、この5月に新版を刊行した「住まいの境界を読む」(彰国社刊) をまとめるきっかけになった。北京の古い住宅地の中で見つけたアウトドアリビングも、その過程で出会った心惹かれる空間だった。

一級建築士
1958年 千葉県生まれ、1983年 日本女子大学大学院修士課程修了、1983~85年 香山アトリエ勤務、1986年 空間研究所設立、1997年~ 日本女子大学専任講師、現在 日本女子大学准教授。 主な著作:変わる家族と変わる住まい <自在家族>のための住まい論 (彰国社 2002年)、住まいの境界を読む 新版 人・場・建築のフィールドノート (彰国社 2008年)。主な受賞歴 (作品):大阪府営泉大津なぎさ住宅 (仮称) 設計競技1等、東京建築士会住宅建築賞 (RIGATO‐F)、グッド・デザイン賞 (superar kinuta)。
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