- 第 96 回
“すまい手”のコトバ(言葉)から(1)
八田 創
例えば、笑点で落語家の方に「お題」を与えずに寄席の最後の出し物である大喜利を始めたとしたらどうなるでしょう?きっと誰も手を挙げてくれませんよね。これを「すまいづくり」に当てはめるとどうでしょう。「すまい手」のコトバ(お題)無くしては「つくり手(設計者・施工者)」もどんな家を建てれば良いのか困ってしまいます。とても当たり前の話ですが、実はこういった事はよくある事なのです。
最近では世の中には大変便利なモノがたくさんあります。キッチンやフローリングから外壁や玄関扉に至るまで、インターネットでおおよそのモノは“すまい手”から直接購入出来るようになりました。モノだけではありません。いままでは調べる事が大変であった“すまい”に関する法律的な事柄や、建設に際し使用される材料の成分に関する事まで、いろいろな情報も簡単に調べることができるようにもなりました。そのせいか、“すまいづくり”もそういったモノや情報を選択して、それをパーツのように組み合わせる事で、“すまい”が出来上がってしまうように思われがちです。しかし本当にそうでしょうか?“すまいづくり”を経験されている方ならば、そこまで単純ではない事を理解して頂けると思いますが、初めて“すまいづくり”を経験される方には判りにくい所だと思います。実際の“すまいづくり”はモノの組み立てだけではなく、“すまい手”の想いに加えて、それを“すまい”として実現する為のつくり手の技術や経験によって工事が行われます。モノは“すまい”の一部分に過ぎません。それを組み立てる技術を持つのがつくり手です。モノや情報を集める所までは“すまい手”の意思で行う事も出来るでしょう。そしてその先にあるモノから“すまい”へと変わる過程がつくり手の技術と経験、つまり設計であり建設現場です。しかしながらこの過程では“すまい手”は直接的な参加は出来ません。だからこそ、この過程でとても重要となってくるのが「すまい手のコトバ」なのです。
“すまい手”が自分の“すまいづくり”に対して要望しないわけないじゃないか、と思われた方もいらっしゃるでしょう。もちろん“すまい手”は大きな希望を持って“すまいづくり”を始めるわけですから要望が必ずあります。目に見える要望であれば写真やカタログ等で確認できます。ただ、まだ形にもなってないし、雰囲気としてコトバでしか伝えられない“すまい手”の要望というものもありますよね。それこそが「すまい手のコトバ」ですし、そこが叶ってこそ、“すまい手”のための“すまいづくり”と言えませんか。“すまい”の主人公は当然の事ながらその“すまい手”です。その“すまい手”のコトバが無ければその“すまい”は“すまい手”の意思を生かされていないままとなってしまいます。
“すまいづくり”は文字通り「すまい」を「つくる」ことです。“すまい”ですから新築かリフォーム、または戸建てであろうとマンションであろうと、手が入れられる(工事できる)のであれば同じです。オートクチュールの洋服のごとく、“すまい手”にぴったりと合う様に“すまい”をつくるわけですから、つくり手は“すまい手”のコトバをとても大切にします。
つくり手は“すまい手”のコトバをとても大切にすると書きましたが、これには二つの意味があります。一つは、少々乱暴な表現かもしれませんが、つくり手は必ずしも“すまい手”の言いなりになるわけでは無いという事です。新築・リフォームを問わず、“すまいづくり”には法律的な規制がかかる場合もありますし、つくり手としての経験から、“すまい手”希望通りにすると後に不都合が生じると思われる事が、“すまい手”のコトバの中に見受けられる場合もあります。そういった場合に的確なアドバイスを出来るようにするためには、“すまい手”のコトバの中からその真意を汲み取らなければなりません。そしてもう一つは、“すまい手”とつくり手との間で交わされるコトバのコミュニケーションの中から予期せぬアイデアや解決策が隠れている事があるという事です。“すまい手”は言葉では求める“すまい”を上手く表現できないものです。しかしその表現方法や言い回しの中に“すまい手”の求める“すまい像”が表されている事があります。ですからつくり手がこの「すまい手のコトバ」を大切にする事は、“すまい手”の体にぴったりと合うような“すまい”を実現するため重要な糧となるわけです。

- 「すまい手のコトバ」を頼りにキッチンカウンター材を吟味する様子

- 「つくり手」の手によって一つ一つ丁寧に「すまい」は作られて行きます
次回は私の出会った「すまい手のコトバ」を実例と共にご紹介いたします。 |