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Housing Column ハウジングコラム

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第 13 回
 住まいのヒミツ
【台所タイムスリップ (2)】
― 平安・近世の台所 ―


●台所の語源は枕草子絵詞にも登場する「台盤所」

 今回も、台所のルーツや歴史をさぐるべく、まず平安時代へタイムスリップです。
 時は“鳴くよ鶯”(794年)、場所は言わずと知れた平安京。実は現在の“台所”の語源を調べると、この桓武天皇に始まった平安時代にさかのぼることになるのです。
 台所の元の言葉は、「台盤所(だいばんどころ)」。当時、内裏や貴族の家のみにあった部屋の名称です。平安京の場合、清涼殿が天皇の暮らす御殿で、その西側に「鬼の間」「朝餉の間(あさがれいのま)」、そして「台盤所」がありました。鬼の間は、お毒見をする部屋、朝餉の間は文字通り天皇が朝食を摂る部屋で、台盤所は、“台盤”という食物を盛った盤(皿)を載せる台があり、膳立てをする部屋でした。ここに、“女房”と呼ばれる配膳役の女性が集まり、配膳の準備をしていたのです。また台盤所は、女房達の詰め所であり、食事などもするサロンでもありました。有名な「枕草子絵詞」には大きな台盤をはさんで、女房達が帝の恋の噂話をしている場面があります。つまり、“台盤所”は炊事場ではなく、配膳室=パントリーだったのです。この台盤所が炊事場も含めた意味で「台所」という言葉になり、「女房」が主婦をさす言葉となっていったのです。
 ちなみに、調理自体は、炊事の煙や臭いを居室から遠ざけるために、別棟の「大炊殿(おおいどの)」や厨で行われていました。別棟で作られた料理は、渡り廊下もない場所をはるばる台盤所に運ばれ、そこで台盤にのせて綺麗に並べられ、さらにお毒見をしてから天皇の元に出されていました。ですから平安京の天皇は、ほとんど熱い料理は食べられなかったのではないかと考えられています。

●近世・武家住宅の台所から誕生した鉄人料理ショー?

 続いては、武士の時代である近世の台所、それもお城の台所をのぞいてみましょう。この頃になると城では、多くの家来や友好関係にある領国の使者を接待するために、台所が住まいの中で大きな部分を占めるようになっていったのです。
 今も残る二条城二の丸御殿は、広い土間をもち多くの竈を並べた巨大な台所と、囲炉裏を中心にして床を張った御清所(おきよどころ…仕上げ調理・配膳の部屋)からなっています。同様に大阪城本丸御殿も、上台所と下台所という二棟の調理場・配膳室をそなえています。
 こうしたお城では来客の際、正式の対面を前に能舞台をそなえた大広間で行い、その後白書院などで華やかな宴を催したといわれています。この時、台所はフル回転。今で言う大型旅館やホテルのレストランの厨房のような機能を果たしていたのです。
 そんな中で、武家住宅の台所からは“有職料理”と呼ばれる料理法が誕生します。これは、包丁と鉄箸を巧みに操り、材料である魚や鳥に一切手を触れずに切りさばくなど、いわば“技あり”の格式礼式にのっとった調理法で、主人や客人に披露されました。つまり料理をショーとして見せたのです。また台所で下ごしらえした料理を庭に持ち出し、その場で専門の包丁人がこのショーを披露する野外遊宴などもひらかれたとか。今風に言えば、「料理の鉄人による野外クッキングショー」、私たち庶民の感覚で言えば「お庭でバーベキュー&パパの得意料理披露」といった演出です。今も昔も、家に招いて美味しい手料理をごちそうすることは、相手と心を通じ合わせるおもてなしのひとつ。日々の生活はもちろん、台所はそんな大切な役目も担い、発展していったのです。

●農家の台所はリビング・ダイニング&オープンキッチン

 では当時(近世)の農家の台所はどうなっていたのでしょうか? 日本の伝統的な農家の間取りといえる田の字型の農家を例に台所を見てみましょう。
 田の字型の農家は、大きく土間部分(ニワ)と床上部分(オイエ)に分けられ、土間の奥に竈がすえられています。そして床上部分奥のニワに接する部分を台所と呼んでいました。台所は板床で囲炉裏が切ってある場合が多く、家族の食事・団欒の場所であり居住空間でした。他の部屋は寝間や応接室で、生活の中心は土間と台所にあったわけです。
 また囲炉裏の炉端に座る人の座席が決められていました。主婦の座は炊事場である土間に最も近く家族を見渡せる場所。主人の座は、土間の奥にある厩(家畜や馬を飼う場所)を見るのに都合が良い場所になっています。研究者によっては封建的な家族関係の表れと言う人もいますが、考え方を変えれば、実に機能的で、今で言う対面キッチンや、広々としたオープンキッチン、家族団らんのリビング・ダイニングの発想は、決して西洋文化の受け売りではなく、この頃からあったと言えるかもしれませんね。
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