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住まいと暮らしの雑学探検隊
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台所タイムスリップ (4)
第 15 回
住まいのヒミツ
【台所タイムスリップ (4)】
― 1坪革命・ダイニングキッチン誕生 ―
前回お伝えしたように、庶民向け住宅の台所は文明開化の明治になっても劇的な進化は遂げられませんでした。大正になってガス・水道・電気の普及が様々な方面から進みますが、台所=「北側にある暗く狭い炊事場」を脱していなかったのです。大革命は戦後になってからなされます。
そこで今回はまず、革命前夜ともいえる戦争直後にタイムスリップ!
●戦争直後、屋外にだされてしまった台所
ご存じの通り、当時の東京などは激しい空襲により一面焼け野原でした。人々の生命を守るための進駐軍による食料や衣料の供給はあったものの、莫大な予算と時間のかかる住宅は後回し。記録上では、420万戸もの住宅が不足していたという事ですが、倉庫や住宅とは名ばかりの建物も多数見られたので、実質はそれ以上だったでしょう。
これに対し、政府は応急簡易住宅を各地に建てることにより復旧の足がかりとします。しかし当然予算が少なく、その広さは一戸あたりたった6.5坪。六畳と三畳の二間に三畳の土間といった間取りが基本で、六畳間で11人・三畳で5人が寝起きしていたという記録が残されています。これだけ狭いのですから、第一に住まいから外へ押し出されたのが炊事場=台所でした。主な燃料は薪に逆戻りし、原始的台所生活へと後退してしまったのです。それでも家を供給された人はまだましな方で、崩れたトタン屋根の下を住まいにする人や、バスや電車の廃車車両を住まいにする人も少なくありませんでした。
でも、ちょっとここで考えてみてください。思えばそんなどん底状態になっていたのが、なんと今からたった60年ほど前。ここから驚くのほどのスピードで、日本社会はもちろん、我々庶民の台所も、力強く進化・変革を遂げてゆくのです。
●もはや戦後ではない…でも住まいは最悪
では終戦から10年後に行ってみましょう。
当時の経済白書に「もはや戦後ではない」というあの有名な言葉が記されます。確かに、我が国は驚異的な復興をとげ、東京の街にはサラリーマンが増え、朝夕の国電のラッシュが話題にもなりました。ところが、住宅だけは事情が違ったのです。慢性的な資金難を抱えていた国や地方自治体にとって「公営住宅」を必要数建設するには、その財政事情からまだまだ困難でした。加えて工業化の進展にともない、都市部の人口が激増。終戦直後に建てられた粗悪なバラックや木賃アパートもすぐに満杯になり、あまりの住宅事情の悪さに全国のサラリーマンから「住宅よこせ運動」が起こる事態にもなったのです。
そこで国は日本住宅公団を設立し、住まいの大量供給に乗り出します。様々な財政事情から住宅一戸当たりにあたえられた建設費はおよそ70万円、床面積は13坪。それでも数年前より実験的に建設されてきた都営アパートより少し広くなるという条件でした。その広さ、たった一坪…。しかし“されど一坪!”です。この一坪を「日本の新たな家族団らんの場」へと生かすために知恵とパワーが結集したプロジェクトが発足します。NHKの人気ドキュメンタリー番組でもとりあげられた、公団の初代住宅計画部課長・尚 明(しょう あきら)氏・澤田光英氏をリーダーとする若き建築家たちの集まりでした。
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●1坪革命・ステンレス流し台つきダイニングキッチン誕生!
彼らが普及させたのが、今や当たり前となった【ダイニングキッチン】という発想です。それまで庶民は台所で食事をつくり、これをお茶の間に運んで食べ、そこを片づけて居間とし、また夜には寝室としても利用する暮らし方が一般的でした。これに対し、台所に椅子とテーブルで食事を取るスペースを付け、居間や寝る場所は別とする【食寝分離】の発想を取り入れたのです。さらに台所は北側という日本の常識を覆し、暖かな日差しが差し込む南側に設ける画期的な間取りを導入! つまり広くなった一坪を台所にあて、「庶民の生活を変える」「主婦のために使おう」という発想で誕生したのがダイニングキッチンなのです。
プロジェクトの様々な人間ドラマの詳細は、ドキュメンタリー番組や他の文献に譲りますが、その挑戦は1センチもおろそかにできない過酷な設計努力のたまものでした。画期的な発想を実現するにも、広げられるのはたった一坪。そこで当時としてはまだ珍しかった人間工学的な考え方も取り入れ、流し・調理台・コンロの配置や高さ・幅などをつぶさに検証。狭い場所をいかに広く使えるようにするかだけでなく、「狭いからこそ動きやすい」という逆転の発想もとりいれたといいます。また“日本人の体型”や“人間はどこまで手が届くか”(当時で約160センチ)なども調査し、非効率的な食器棚のスペースを撤廃、その後のシステムキッチンの進化にもつながる「流し台の上の収納棚」も発明したのです。さらに流し台には、それまで主流だったコンクリート石砕の「ジントギ」と呼ばれる変色やひび割れしやすいものをやめ、清潔なステンレス製を導入。予算的には大きな問題もあったものの、ステンレスメーカーの協力をとりつけ、堂々完成にいたったのです。
●そしてシステムキッチンへ
このステンレス流し台つきダイニングキッチンの登場により、宝くじが当たるより難しいといわれた「団地ブーム」がやってきました。台所は、住まいの主役へと大きな躍進を遂げたのです。この後、より自分にあった使いやすい台所を構築できるシステムキッチンが登場することは、もういうまでもないでしょう。
余談ですが、ダイニングキッチン(DK)は日本人の発明。だから和製英語です。
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