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Housing Column ハウジングコラム

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第 16 回
 住まいのヒミツ
【お風呂タイムスリップ (1)】
― 日本のお風呂のルーツは… ―


 世界的にみても無類の「風呂好き」と言われる日本人。幕末の日本に訪れたアメリカ人が、42~43℃ものお湯(江戸っ子は熱い風呂好き)にドボンと飛び込む庶民の姿を見て「自殺行為か?」と驚いたというエピソードもあり、既にその頃からお風呂はなくてはならないものだったのです。それが今や内風呂が当たり前となり、湯が冷めにくい魔法瓶効果のある最新式浴槽なども登場するほどに進化! なぜ日本人はこれほどまでにお風呂好きになったのか。そもそもお風呂のルーツは? 台所の歴史をたどった前シリーズに続き、「お風呂タイムスリップ」のスタートです!

●日本の風呂のルーツは温泉と蒸し風呂?

 日本は言わずと知れた火山国。縄文時代の遺跡から温泉への入浴跡も見つかっていますし、太古の昔から日本人が「温泉を利用していた」ことは間違いありません。ところが、民俗学者の柳田国男氏の説によれば“風呂”の語源は「室(ムロ)」が訛ったものであり、「穴ぐらや岩屋」のことであろう、と記しています。温泉もルーツのひとつなのですが、正式な風呂のルーツといえば、湯船につかるというものではなく、自然の洞窟や岩屋を使った“蒸気浴”を意味するもので、それは仏教とともに大陸から伝わったというのです。では、仏教が伝来した6世紀にタイムスリップしてみましょう。

●石風呂と釜風呂

 日本でも古来より宗教的儀式の一部である禊(みそぎ)を行っていましたが、この奈良時代には仏教の伝来とともに「施浴」という功徳が伝えられます。これは大釜に沸した湯で貧しい人々の体を洗うことが「功徳になる」という教えで、今で言う入浴ではなく、水や湯を浴び、体を清めることに目的がありました。これと前後するように“蒸し風呂”が大陸から伝わり、“ムロ”が登場するのです。
 作られた時期は定かではありませんが、西日本の各地には初期の蒸し風呂と思われる「石風呂」の跡がたくさん残されています。自然の洞窟や岩山を人工的にくりぬいて造ったもので、広さは3畳から10畳程度。その使い方は、まず洞窟内にシダや松の枯れ葉を焚いて洞内を熱し、燃え尽きたあと灰を掻き出し、海水に浸したむしろを敷きつめます。さらに温度調節のために適度に海水を撒いて、洞内に蒸気を充満させ“蒸気と熱気”の部屋をつくりあげるのです。男はフンドシ、女はコシマキ着用ですぐさま洞窟に入り、この熱気の中で汗を流すという訳です。石風呂は海沿いにあることが多く、海水や海藻類を上手に使い、治療や予防のために利用されていたと考えられています。
 石風呂の次に出てきたのが釜(窯)風呂です。なかでも有名なのが、壬申の乱で傷ついた大海人皇子(天武天皇)が傷を癒したと言われる京都・八瀬の釜風呂でしょう。石風呂と違い、釜で燃すのは生の松葉を使いました。灰を掻き出し、ムシロを敷いて塩水を撒き、蒸気を充満させるものです。その後、このような蒸し風呂施設が「施浴」の思想から寺院を中心に導入されていくことになるのです。

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●大流行となった寺院の蒸し風呂

 施浴の習慣は、鎌倉時代に入ってもっとも盛んになります。町湯も一般的でなかったこの時代、人々は寺院の湯屋に無料で入浴させてもらっていたのです。
 そんなお風呂のエピソードの中で有名人も登場します。中でも有名なのが東大寺復興のために活躍した重源上人。重源は東大寺の荘園から用材を確保するために、自ら現地に行って職人を集め、木を切り出させました。その職人の志気を高めるために保養として風呂をふるまうという一大キャンペーンを行ったのです。お風呂は当時から素晴らしいレクリエーションでもあったわけです。その他にも幕府が北条政子の供養に行なった長期間の施浴などは『吾妻鏡』にも記されています。
 室町時代に入って、施浴の習慣は個人にも広まります。将軍足利義政夫人の日野富子は、毎年末に両親追悼の風呂をもよおし、縁者たちを招待。その際、風呂や食事をふるまったのです。

●華開き始めるお風呂文化

 このころから、人を招いて遊ぶことを、「風呂」というようになり、入浴後には茶の湯や、酒食がふるまわれました。これがいわゆる「風呂ふるまい」で、庶民階級でも富裕な家は、近所の人々に風呂をふるまったり、また、地方でも村内の薬師堂や観音堂に信者が集まり、風呂をわかして入り、浴後は持参の酒・さかなで宴会をする「風呂講」というものが行われていたそうです。
 宗教的なものではなく、純粋な公衆浴場いわゆる「銭湯」が登場したのは江戸時代になってから。
 次回はそんな大江戸お風呂事情にタイムスリップです!
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