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Housing Column ハウジングコラム

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第 17 回
 住まいのヒミツ
【お風呂タイムスリップ (2)】
― 日本のお風呂のルーツは… ―


 今回も「お風呂タイムスリップ」。奈良~室町時代にかけて、寺の蒸し風呂を中心に「施浴」として広まった入浴の習慣。江戸時代になるといよいよ銭湯が登場し、暮らしに欠かせないモノになります!

●水も薪も高価だからこそ、江戸初の湯屋誕生!

 徳川家康が江戸を開いた頃、町は新たな都をつくるとあって建設ラッシュのまっただ中でした。家康家臣の武士はもちろん、彼らの生活を支える職人や商人が全国から集まり、毎日泥だらけになって働いていたのです。庶民は心のどこかで“水浴びするだけじゃ物足りない”と思っていました。
 しかし、庶民が家に湯殿を造るなんて高嶺の花。建設費の問題もありますが、ガスや水道もなく、治水工事さえ完了していない江戸初期の頃などは、毎日“大量の水”を手に入れる事は簡単ではなく、また湯を沸かす燃料の“薪”も大変高価だったのです。実は武家屋敷や大きな商家も条件は同じで、上級武士や大店の主人でさえ家に風呂を持っている人は希だったのです。
 「これは商売になる」と思う人が出てくるのは当然だったでしょう。江戸初の銭湯は定かではありませんが、『慶長見聞録』(1614年刊)に“天正19年(1591)に伊勢与市という者が銭湯風呂を建てた”とあるのが、記録にあらわれた最初です。場所は現在で言うところの常磐橋と呉服橋の中間にあった“銭瓶橋(ぜにかめばし)”のたもと。江戸開府2年目の出来事です。

●江戸時代の銭湯は蒸し風呂式

 とはいえ、現在のような首まで湯につかる風呂の登場には江戸も後期まで待たなければなりません。当時の銭湯はそのほとんどが「蒸し風呂」式。小石をおいてそれを焼き、水をそそいで湯気をたてその上に簀の子を置くか、浴室の外においた釜で湯をわかし、樋を利用して浴室の中に湯気を引き込むか、俗槽の底に膝をひたす程度に湯を入れ、これを熱し、下半身だけひたし、上半身は湯気で蒸すような、いわばサウナ方式でした。前記したように、水や薪はとても高価。このように熱気によって汗を流す蒸し風呂式なら、あまり多くの水や薪を使わずに済んだからです。
 ところが、当時は風呂に入るのは初めてで慣れない人も多く、“熱い滴にびっくりし、湯気で息が詰まって喋る事も出来ず、湯を沸かす煙で目も開けられない状態”という有様だったとか。風呂焚きの煙まで充満してしまうのですから、その頃の銭湯はバラック建てのような小屋が多かったようです。
 それでも、庶民は「汗を流してサッパリ出来る」とあってこぞって風呂に通うようになり、そして20年もたつと、町ごとに銭湯が建つほどに普及するのです。早速、その湯に入ってみましょう!

●矢をつがえた弓が看板?

 まずは入り口ですが、江戸時代はあの銭湯らしい破風造りの屋根はなく(身分による建物の規制があったため)、ごく普通の造りで、「ゆ」と書いた布か“矢をつがえた弓”を書いたものが竹の先につり下げてあります。『湯に入る』を『射入る』とした洒落で、いわばこれが銭湯の看板だったのです。その先にある「男湯」「女湯」と書かれた戸障子をスッとあけて、いよいよ中へ。
 中に入ると土間があり、そこで下足番に履物を預け、番台でお金を払い、男女に分かれた脱衣場である板の間へ。この辺は今も残る昔ながらの銭湯と基本システムは同様ですが、裸に対しておおらかな時代だったせいか、男女に分かれていない混浴の銭湯も少なくなかったとか。
 今と大きく違うのは脱衣所と流し場(洗い場)の間に仕切りがないところ。流し場は板張りで、中央に排水用の溝があり、客は大桶に汲み入れられた湯を使って洗い粉や糠で垢をこすり落としました。

湯屋のマーク
”矢をつがえた弓”
これが、湯屋のマーク
高座(番台)
ここで湯銭を払って湯屋に入る
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●銭湯の破風造りのルーツは柘榴口

 ついに浴槽へと向かう訳ですが、江戸の初期に流行したのは戸棚風呂といった形式でした。蒸し風呂の湯気のもれるのを防ぐために、入口に引違い戸を付けていたので、“人が戸棚に入る”ように見えたことからこう呼ばれました。しかし客の出入りも激しくなると、湯気が逃げてしまいます。そこで登場したのが、「柘榴口(ざくろぐち)」です。これは、出入口に天井から低く板をさげ、湯気の逃げるのを防ぐようにしたもので、客はこの板の鴨居下を屈むようにして出入りするのです。柘榴口と呼ぶようになったのは、当時鏡を磨くのに柘榴の実を使ったから。“かがみ入る”を、“鏡鋳(かがみい)る”と、またしても洒落ているのです。
 この柘榴口にはたいてい破風造りの豪華な屋根か、漆塗りの鳥居がついていて、その造りがそれぞれの銭湯の特徴になっていました。これは、有名な寺の湯殿建築を真似たもので、その名残が現在も残る銭湯の入り口の豪華な破風造りなのです。
 ところが、実は豪華なのは柘榴口だけでした。湯気を逃さないよう窓も小さく湿気で蝋燭も使えないため、浴室は真っ暗。お湯が張ってあっても膝下ぐらいしかなく、しかもこの湯もひどい所では、流し場の溝を流れてきた湯をもう一度使っていたといいます。暗くて見えないことをいいことに、浴室の中の環境はあまりよくなかったのです。
 次回もお江戸のお風呂事情。ザブンとお湯につかることが出来る風呂がやっと登場します!
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