My Life,My Style
home>Housing Column>住まいと暮らしの雑学探検隊>お風呂タイムスリップ (3)
  • Navi Menu
  • Housing Column
  • ハウジングコラム
  • 専門用語ナットクコラム
  • 雑学探検隊
  • HAPPYジャーナル
  • 番外編 住まいづくりのプロの視点

Housing Column ハウジングコラム

バックナンバー
第 18 回
 住まいのヒミツ
【お風呂タイムスリップ (3)】
― 江戸のお風呂ビジネス開花 ―


 江戸初期の銭湯は、柘榴口(浴室への入り口)は豪華でも中は暗くて汚かったといいましたが、人気はどんどんあがっていきます。そこにはいくつか理由がありました。今回はそんな銭湯のヒミツや、家風呂のルーツとなる「据え風呂」などを探検! 再び、江戸のお風呂にタイムスリップです。

●そこは町の社交場 二階風呂の発達

 江戸の朝湯は五、六時頃から開湯し、風呂が沸くと、ホラ貝で町の人に伝えたそうで、終わりはタ方七つ(午後4時頃)でした。その間は、銭湯は文字通り裸の付き合いができる庶民のいこいの場になります。例えば朝方は、遊び人や下級武士、近所の旅籠にいる旅芸人など、夜の町の事情詳しい連中が男湯に集まり噂話に華を咲かせます。一方誰もいないはずの女湯ですが、さにあらず。八丁堀の同心がひっそりと女湯につかり、事件の情報を得るために男湯の声に耳を傾けていたといいます。
 ことほど左様に銭湯は、ただサッパリするだけでなく、脱衣所には町で一番流行している店の宣伝文句などが張られるなど、当時の情報発信・収集の場だったのです。
 その極めつけが、天保のころ (1830~44) に大流行したのが「二階風呂」という利用の仕方。男湯側には階段がついており、2階の広間に上がって別料金を払えば、茶を飲んだり、菓子を食べたり、囲碁・将棋を楽しんだりも出来るようになっていました。様々な人と情報交換や遊ぶ事が出来る町のサロンとしての機能も持たせていたのです。銭湯の大ヒットにはこんな理由もあったんですね。

●上流階級の家風呂登場、普及型は鉄砲風呂

 一方この頃、富豪といわれる商家や高級武士の屋敷、また吉原の遊郭や旅籠に、家風呂の原点ともいえる風呂が登場します。首までザブンとつかれるもので、蒸し風呂や薬湯に対し、普通の井戸水を沸かして入るので「水風呂」(冷たい水という意味ではない) または「据え風呂」と呼ばれていました。
 しかし、井戸掘り料も高価で、肝心の薪もプロの銭湯ですら仕入れに苦労する状態。そこで普及したのが効率的に湯を沸かせるタイプの据え風呂です。湯舟は湯量が少なく済むよう、人一人が入れるほどの木桶を利用。浴槽の内側の縁に通気口のついた鉄製の筒をたて、この中に燃えている薪を入れます。すると通気口から入る風で薪が燃え続け、鉄の筒が熱せられることによって湯が沸くというアイディアものでした。木桶から鉄砲の筒が飛び出ているようなので、ついたその名も「鉄砲風呂」。もちろん鉄砲と浴槽の間には格子状の仕切をつけていましたが、しばしこれがはずれて思わぬ火傷をすることもあったそうです。この後、鉄砲の下部を箱形にして口をあけ、ここから薪をくべるという、まるでガス風呂が普及するまで戦後日本の家庭にあったようなタイプの風呂も誕生してしまうのです。

●弥次喜多道中の「五右衛門風呂」

 江戸ではこうした鉄砲風呂の変形型が主流でしたが、関西ではご存じ「五右衛門風呂」が普及しました。これは大きな竈の上に平たい鉄板型鍋を敷き、その上に据え風呂を置くモノで、風呂桶と鉄板の間は湯が漏らないように漆喰で固めます。風呂の底を熱して焚くので少量の薪ですぐ湯が沸き、さらに木製の底板を浮かせることによって、それが蓋となりさらに効率的に沸かせるというものでした。浮いていた底板を湯に沈めて上に足をのせて入れば、浴槽の底は熱くありません。この底板をただの蓋と間違えて取ってしまい、大騒ぎになる弥次喜多道中のエピソードはあまりにも有名ですね。

クリックすると拡大表示されます
クリックすると拡大表示されます
●移動式ミニ銭湯「辻風呂」

 一方江戸では、上流階級に普及し始めた家風呂を利用した、とんでもない商売が始まります。
 鉄砲風呂を人通りの多い街頭や寺社の境内に運びだして湯を沸かし、通行人に入浴させる「辻風呂」の出現です。いわば移動式ミニ銭湯。さらに入浴中に三味線や唄をきかせるサービス付きのものや、水上をゆく屋形船型の移動銭湯も登場します。その名も「湯船」。これは小舟に据え風呂を乗せたモノで、港や船着き場で働く船頭や船客が入りにきたといいます。湯舟に税金を課したという記録もあるので、相当の利用者があったのでしょう。
 これ以外にも、鉄砲風呂を花見の席に持ち出して花を見ながら湯に入る「花見風呂」や、「雪見風呂」といった風流な辻風呂サービスも現れます。風呂には社交や健康効果だけでなく、“癒し”の力もあると江戸庶民は感じていたのでしょう。我々が住まいにお風呂をつくる際、出来れば窓から見える風景にもこだわりたくなるのは、温泉だけでなく、移動式銭湯でも培われた日本人らしい感性が受け継がれているのかもしれません。
 このように、みんなで入る銭湯で風呂の楽しみ方を謳歌し、木桶に加熱装置を組み込むことによって、入浴は個人的にも楽しめるものだと学んだ我々日本人は、暮らしのエンターティメントのひとつとして“お風呂”を住まいの中に取り入れてゆく道へと、ゆっくり歩み始めるのです。
 次回は、明治・大正・昭和をむかえ改良されてゆく銭湯と、住まいの中でも大切な存在になってゆくお風呂にタイムスリップです!
クリックすると拡大表示されます
Copyright (c) Sumanavi Center All Rights Reserved.