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Housing Column ハウジングコラム

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第 20 回
 住まいのヒミツ
【トイレタイムスリップ (1)】


 台所、お風呂に続き、今回からは「トイレ」がテーマです。ちょっと言葉にし難いお話も登場しますが、お風呂同様に「落ち着く場所」として住まいには欠かせない場所のひとつですし、健康管理や子供の教育にも“オシッコやウンチ”の話はとっても大切なこと。どうかご了承の上しばしおつきあいください。ではトイレのルーツを探るべく、まずは縄文時代へタイムスリップです!

●厠(かわや)のルーツは縄文・弥生式の天然水洗トイレ

 縄文人のトイレは、集落の人数も少なかったので、基本的には、ひっそりと林の中などで行い、自然が処理してくれるのをまったのではないかと考えられています。
 ところが福井県鳥浜(とりはま)遺跡では、近くを流れる川床から糞石(ふんせき=化石)が多数出てきました。川床には縄文時代のものと思われる杭の跡があり、この杭で桟橋を川の上に作り、そこで用を足していたと考えられています。これは縄文としては極めて希な例で、当時の最先端型・天然水洗トイレだったのかもしれません。
 川が多く水が豊富で流れも強い日本では、弥生時代にもなるとこのような川に直接行うトイレが普及し、これが日本のトイレ、文字通り“厠(川屋)の原型”となったと言われています。


●北から南に川が流れていないと大変だった都のトイレ

 ところが、古墳時代から飛鳥時代を経て、街や都市が巨大化すると、“厠事情”は大変なことになってきます。
 「藤原京」(694年~710年)では川の流れる方向が問題になりました。
 当時の貴族のトイレは、川から水を引き込んだ都大路の道路側溝を屋敷内に引き込み、その引き込んだ水路の上に屋根をつけ、これをまたいで用をたしていたと言われています。
 藤原京に流れていた「飛鳥川」は、あろうことか都の中を南から北へと流れていました。しかし、通常都は北が上位で、そこは貴族たちの住まい。この時代の都を流れる川は、上水道であり下水道でもあったので、非常に大きな問題になったわけです。
 「平城京」の“秋篠川”も「平安京」の“鴨川”も、北から南へと流れていたので、大きな問題はありませんでしたが、“厠”を設けられるのは貴族や上級官僚だけで、一般の人は外でするのが普通でした。庶民が都大路の溝で用を足すおかげで、道路のあちこちにたまり、それが原因で病気が蔓延した事も少なくなかったようです。


●居住空間にはいってきたトイレ=樋殿

 貴族といえども、川の流れを利用出来る場所ばかりに住んでいたわけではありません。そこで普及したのが、“樋殿(ひどの)”というカタチ。これは“しのはこ”という箱に大きな方を、“しと筒(男性用)・虎子(おおつぼ‥女性用)”という容器に小さい方の用を足す形式。例えは悪いですが、猫のトイレと溲瓶(しびん)を想像して頂くのが近いかもしれません。使用した後の箱は御厠人(みかわやうど)と呼ばれる女性によって掃除され、洗い清められました。
 最大の特徴は、“厠”が川の流れを利用するために母屋から離れた場所に造られることが多かったのに対し、“樋殿”は母屋の中にトイレ専用の一間として造られたこと。トイレが居住空間に入ってきた画期的な現象だったのです。溜めて捨てれば川のあるなしに関わらずどこでも設置できるので、これが大いに普及していくことになるのです。

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●水洗用法導入便所・禅寺のトイレ

 禅宗の影響で登場した“雪隠”はさらに進化をとげます。雪隠とは、禅僧の間で用いられた名称で、“雪とう”という名の和尚が、霊隠寺の厠を司る役についたことに由来するもの。禅宗ではトイレも思考の場、修行の場とされ、その使用法が厳しく定められていました。「先立って便壺を水で清める」「後は竹べらか紙で拭く」「次に右手で水桶を持ち、左手で水を受けて便壺を洗浄」「これが済んだら灰・土・水などで手を洗う」といった具合で、いわば水洗用法を取り入れた清潔なものだったのです。
 禅宗のトイレは、おおむね伽藍の東の方に位置していたので“東司”とも呼ばれていました。この東司・雪隠は、今も京都の東福寺で見ることが出来ます(室町時代・現存する日本最古の便所建築)。切り妻屋根に本瓦葺きの建物で、細かく区切られた大便所と小便所が並び、手水鉢や歯磨き粉などが置かれています。“お手洗い”“洗面所”という言葉が、トイレを意味する一般用語になったのも、このような禅寺便所がきっかけと言われています。
 
 とはいえ、この頃もまだトイレの後始末は捨てるだけ。これが鎌倉時代を迎えると、人糞の大切さに気づき、いよいよくみ取り式便所が登場するのです。次回リサイクルとトイレについてのタイムスリップに乞うご期待!

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