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住まいと暮らしの雑学探検隊
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トイレタイムスリップ (2)
第 21 回
住まいのヒミツ
【トイレタイムスリップ (2)】
前回に続き、今回は「汲み取り式便所」が登場した時代へ“トイレタイムスリップ”です!
●その時、便所の歴史は動いた
時はいい国つくろう(1192年)鎌倉時代。弥生期に大陸より伝わった稲作技術も発達したこの時代、幕府は農業政策に力をいれ、麦を裏作とする二毛作を奨励します。また糸・布・紙・染料をはじめとする手工業品の原料作物の栽培も盛んになりました。そこで重要になるのが、作物を美味しく丈夫に育てる「コヤシ」です。
それまでのコヤシは、汚泥・焼灰・牛糞・厩肥が中心。一部人間のものも使っていましたが、それで充分でした。しかし二毛作の普及で“コヤシ不足”状態になってきたのです。
その頃ビッグニュースが当時の日本農業界を駆けめぐります。
「馬糞などより、人間のものを溜めてよく熟せば、なによりも速効性の高い肥料となるらしい」
「都会では、それを川の水に流したり、道端で用を足して放ってあるらしい」
「もったいない!」
こうして貴族以外は屋外で用を足すのが当たり前だった時代から、肥料のために「みんな便所へいこう」という時代へ、ついに大きく動き始めるのです。汲み取り便所時代の到来です。
●リサイクルでトイレはビジネスに
日本のトイレ普及は、「汚い不潔である」という衛生面や「人に見られるのは恥ずかしい」という羞恥心から生まれた物ではなく、「人間の屎尿は優秀な肥料」という発見と「どうしたら優秀な肥料を大量に得られるか」という実利的なことが原動力となっていたようです。
安土・桃山時代のことですが、来日したポルトガル人が利用した「日葡辞典」(ポルトガル語で書かれた日本語辞書)の“Coye”(コエ)の項目に「糞尿、肥料を外へ運び出す」とあり、さらに当時の彼のレポートには「日本では馬糞を捨て、人糞を菜園に投ず」と書かれています。しかも、「日本では、農家はそれを買い、米と金を支払う」と記しています。海外では、トイレのものを始末し掃除するその労働に対してお金を払っていたが、日本では、農家の人々が糞尿を引き取るばかりでなく、お金まで支払っている事実に、そのポルトガル人はびっくりしてしまったのでしょう。
日本は、そのシステムが成り立つほど農業国だったのです。農家は効率的に肥料を集められ、美味しい作物をいっぱいつくれる。都会の人々は、それを買って、食べて、出して、これを農家がまた買い取ってくれるので財源確保になるという、大いなるリサイクルビジネスが成立していたのです。
都会でも、農家でも「便所の下には宝がある」という考え方が浸透していったのです。
●汲み取り便所・最古の資料
ここで、汲み取り便所を描いた最も古い絵画を検証してみましょう。「慕帰絵詞」(南北朝時代。本願寺のある僧の一生をまとめたもの)を見てみると、外観は竹の柱に板壁をはりつけ、屋根は板葺き、内部は土を掘った上に板を渡し、下の穴に溜めるようになっています。同時期の「弘願本法然上人絵伝」という資料にも「厠の念仏」というタイトルで、当時の便所の様子が描かれています。外観は不明ですが、内部は板敷きで、中央に板製の便器があり、一人の僧侶が高下駄をはいて用を足しています。板扉には、鍵が設けられていて、外には衣掛けのフックをつくるなど、大変機能的になっています。これらの便所は、その匂いを母屋から遠ざけることもあって、離れた場所に建てられていたのが普通でした。
このような「便所に行く」というスタイルが庶民に浸透する一方で、武家や貴族の間では、便所を住まいの中の心地よい場として発展させていきます。
●信玄の便所と利休の砂雪隠
例えば、あの武田信玄の便所は、なんと京間6畳敷きという広さでした。これは権威を表す意味と、狭い便所では、屋外や隣室から刺客に刀などを差し込まれてはよける余裕がないため、これだけの広さにしたと言われています。信玄は、この室内に香炉をおき、家来に朝・昼・晩に香を焚かせ、心地よい場所にしていたようです。彼はここで、諸国から送られてくる書状を読み、作戦を練り、決断をくだしていたのでしょう。さらに信玄の便所は、湯殿(風呂場)の縁の下に樋を設け、あまり湯を利用して流すという、一種の水洗式だったと言われています。
茶道を確立した千利休は、さらなる便所文化を構築しています。利休の教えをまとめた書物によれば、亭主(客を迎える立場の茶人)は茶会の当日になると雪隠(トイレ)を特別に清掃し、また招かれた客はわざわざこれを確認し、亭主の心遣いに感心せよ、というのです。これは「雪隠拝見」という作法。利休は、便所は不浄なところではない、清潔さをみせて、亭主の心配りを伝えるという文化を作り出したのです。
その究極といえるのが、利休屋敷の茶室に至るまでの露地庭にあったという【砂雪隠】。これはまるで枯山水のように砂や石を配置し、そこで用を足して、砂にまぶして処理するというトイレ。のちの時代には形式的な物になりましたが、今もその美しすぎる程の雪隠を、京都の不審庵などで見ることができます。
次回は、便所のリサイクルビジネスがさらに発展する江戸時代、明治時代にタイムスリップです!
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