My Life,My Style
home>Housing Column>住まいと暮らしの雑学探検隊>屋根タイムスリップ (1)
  • Navi Menu
  • Housing Column
  • ハウジングコラム
  • 専門用語ナットクコラム
  • 雑学探検隊
  • HAPPYジャーナル
  • 番外編 住まいづくりのプロの視点

Housing Column ハウジングコラム

バックナンバー
第 30 回
 住まいのヒミツ
【屋根タイムスリップ (1)】


幼い頃、積み木遊びで家を作る場合、必ず三角形の積み木を一番上にのせませんでしたか? この三角がないとどうも家らしくない。ことほど左様に、三角形の「屋根」は日本の家の“顔”である、と言っても過言ではないでしょう。今回からは、そんな日本の屋根の歴史を探検します!

●そもそも一般的な日本の屋根って、どうなってるの?

 既に「専門用語なっとくコラム」の第6回で、切妻や寄棟、入母屋などの屋根のカタチや屋根材についてはご紹介しましたが、“一般的な屋根ってどんな風に家の上にのっかっているのか”と聞かれると、私達素人にはよくわからないと言うのが本音です。そこで、日本家屋の基本的な屋根の構造を、鎌倉時代の「宇治拾遺物語」に記された面白いエピソードをご紹介しながら解剖してみましょう。
 実は、とある下級官吏が弓術にのめり込み、真っ暗な夜も稽古を行うために、屋根を壊して篝火の薪にしてしまう説話があるのです。当時は電灯などない時代。しかもこの官吏は貧乏であったため、安上がりな光源をもとめ「そうだ屋根の木材を燃やそう」と思いつくのです。

●鎌倉時代の仰天エピソードで見る屋根の構造

 この下級官吏の家は瓦葺きや茅葺きではなく「板葺きの屋根」。まずはこの屋根の一番外側を覆っている「葺き板」を燃やします。当然、ご隣近所から白い目で見られる、妻は怒る。でもやめない。「かくするほどに、葺き板みな失せぬ」とありますから全部燃やしちゃった。すると“木舞 (こまい)”と呼ばれる棧状 (さんじょう) に組んだ『下地』が露わになります。これは、茅や瓦が屋内に落ちないよう敷かれるもので、屋根を葺く素材によって竹で組んだり (茅葺きの場合。別名「エツリ」)、木の板を棧状に組んだり (板葺きなどの場合。別名「木舞」)、隙間をあけずに木の板を敷き詰めたり (別名「野地板 (のじいた)」) するものです。この官吏、それでも夜の稽古をやめない。
 次にこの木舞をはがして燃やしてしまうと、縦方向に並んでいる木材「垂木 (たるき)」が現れます。これも燃やす。その下には、横方向にまばらに並ぶ部材「母屋桁 (おもやげた)」が露わになります。つまり、屋根は垂木と母屋桁を組んだ骨組みの上に、下地をつくって、その上に瓦や茅、板を葺くというのが基本構造なのです。ちなみに、母屋桁のなかで屋根の頂点に横たわる長い木材を「棟木 (むなぎ)」と言います。これを載せたことを祝う儀式が「棟上げ式 (上棟式とも言う)」ですが、この官吏は、ついにそのすべてを燃やしちゃったのです。それでも懲りない!
クリックすると拡大されます

●屋根を支える仕組み

 さて、屋根のほとんどの部分を剥がすと、梁や屋根を支える部分が露わになります。茅葺き屋根の場合は、梁に扠首 (さす) と呼ばれる太い材木を刺し、それを上部で手を合わせるように組んであります。これがいわゆる合掌造り。それ以外のものは梁の上に、「小屋束 (こやづか)」と呼ばれる木材を垂直にたてて屋根を支える仕組みで、「和式小屋組」(和小屋、京呂組とも言う) と呼んでいます。現在では、梁の上に垂直な束 (つか) と斜めの材木を組むことによって、三角形の構造をいくつも形成し、細い材質のものでも頑丈な骨組みになる「洋式小屋組」というものもありますが、日本家屋の屋根のほとんどが、「和式小屋組」で建てられています。もちろん官吏は、これもすべて薪にし、ついには梁・柱・床まで、つまり家一軒まるごと燃やし尽くしてしまいます。宇治拾遺物語には、このような屋根の仕組みが、上からほぼ順序通りに書き上げられているのです。
 ちなみに、この官吏は、その後弓の名人として帝に召し上げられ大活躍しています。

●屋根自体が家だった古代から縄文

 屋根の基本構造がわかった所で、日本最古の屋根を求めてタイプスリップとまいりましょう!
 時は狩猟を主な生活の糧としていた旧石器時代。人々は獲物を求めてたえず移動していましたから、当然住まいも簡単に築けるものでなければなりません。そこで登場するのが、数本の棒材を、必要なスペースを囲い込むように地面に突き刺し、その上端を束ねて結び、この骨組みを獣皮や草で覆う円錐状の住まいです。いわばテントのような家で、屋根そのものが住まいとなる平地住居でした。
 しかし、これでは強い風雨には耐えられません。より堅牢な住まいを求めた我々のご先祖様は、縄文時代に至って、ついに屋根のしっかりした「竪穴式住居」を考案するのです。その屋根の構造は、合掌造りのそれとそっくりです。まず、地面を50センチほど掘り下げて作った床面に4本の太い柱をたて、桁を渡します。この上に合掌造り同様に上部で交差する扠首 (さす) を架けて、その先端で棟木を受けます。棟木から桁、桁から地表面に垂木を配し、これに土や茅で屋根を葺いたのです。
 さらに毎年決まって雨や雪が多く降る地方では、その降りように合わせて屋根の葺き方や勾配の採り方にさまざまな工夫が凝らされ、地域によって次第に屋根のカタチが整えられていきます。そんな中から、寄棟型、入母屋型、切妻型の屋根が登場。つまり日本の屋根の基本は、竪穴式住居の時代に誕生したのです。すごいぞ縄文の人!
 
 次回は、大陸文化の渡来、中世の屋根革命に迫ります!

クリックすると拡大されます
Copyright (c) Sumanavi Center All Rights Reserved.