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住まいと暮らしの雑学探検隊
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屋根タイムスリップ (2)
第 31 回
住まいのヒミツ
【屋根タイムスリップ (2)】
「恩を仇で返す」という意味で使われる、「庇 (ひさし) を貸して母屋とられる」という言葉がありますが、現代の我々の感覚で言うと、“屋根が建物からはみ出た短い部分、いわゆる軒下”を、親切で貸していたらいつのまにか家に入り込み、ついには乗っ取られたというイメージです。ところが『庇=短い屋根の部分=軒下』という考えは大きな勘違いのようなのです。その秘密は、飛鳥・奈良時代あたりにあり! さぁ今回も、引き続き“屋根タイムスリップ”のスタートです。
●モヤ+ヒサシの継ぎ足し型でつくられた飛鳥・奈良の建物
仏教伝来以前から、大陸文化の影響を色濃く受けていた日本の家は、竪穴式住居を経て、木造建築の基本形へと進化をとげていきます。実はこの頃、建物は「身舎 (モヤ)」と「庇 (ヒサシ)」で構成されると考えられていました。それはどういうことなのか‥。
まず当時の基本構造は、柱を2本、向かい合わせに立て、その頂部に梁を渡し、さらにその上に屋根をのせる構造を築き、これを連ねて桁でつなげば骨組みが成立するというものでした。この骨組みを「身舎 (モヤ)」と呼んだのです。ちなみにこれが母屋 (オモヤ) の原型となった言葉です。
これに対し、屋根を架けます。この時「モヤだけを覆う屋根よりも長く大きな屋根を乗せる」と想像してみてください。この大きくはみ出た屋根の下に屋根を支える柱を組めば、モヤより横に広がりのある空間が出来ます。この屋根のことを「庇 (ヒサシ)」と呼んだのです。つまり、この頃は太く長い梁を柱で支えて空間を構築するのではなく、モヤという基本構造に、屋根 (ヒサシ) を伸ばして広げるのが一般的だったという事なのです。さらに建て増しをしたいとなれば、マゴヒサシを継ぎだしてゆく、という考え方でした。いわば柱は梁を支えるものではなく、屋根を支える物だったのです。この考え方は鎌倉時代まで数世紀に渡っていたと言われています。
●ヒサシを貸してモヤをとられる?
と言うことは、「庇を貸して‥」という言葉は、軒下を貸したのではなく、“家の中の一部を貸した”という事だったのです。確かに、よく考えてみると軒下では長くは過ごせません。モヤ+ヒサシ構造のヒサシの部分の部屋を客人や家来に貸したと考えれば、生活をしてゆくうちに図々しくなり、ついには家の中心であるモヤを乗っ取られるというドラマがリアルにイメージできますよね。あの言葉の原型は「庇を貸して身舎をとられる」だったのです。当時そのような出来事が実際にあったのかもしれませんね。
●仏教の変化がもたらした中世の屋根革命
さて、飛鳥・奈良といえば、大陸文化の大きな影響を受けた時代です。その最たるものが仏教の伝来でした。当時、百済の専門家を呼び、日本初の本格的寺院建築 (瓦葺き) である飛鳥寺が建てられたのは歴史の教科書で習った通りです。この頃の寺院においては、お堂には仏像を祭るだけで、仏教儀式はその前庭と中門、そして回廊によって執り行われ、お堂内部にたくさんの人が入るということはあまりありませんでした。ところが平安時代に入り密教が伝来すると、儀式も変化し、建物の中への人の出入りが執り行われるようになったのです。すると「本堂と礼堂は同じ建物内にあった方がいい」「モヤ+ヒサシ構造だと、柱が多く邪魔だ」「柱の位置が限定されてしまい不自由だ」の声があがるようになります。そしていよいよ、鎌倉時代を迎え、屋根の構造の大革命がなされるのです。
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●屋根の上に屋根という大胆な発想
モヤ+ヒサシ構造では、端にいけばいくほど屋根が低くなり、息苦しい空間になってしまい、建て増ししてゆくにも限界があります。そこで当初考えられたのが、双堂 (ならびどう) という建築法でした。これは、モヤ+ヒサシの建物のヒサシに「繋ぎ梁 (つなぎはり)」を架け、隣に別構造の建物を建ててしまうやり方で、双子のように屋根が並ぶカタチでした。
鎌倉時代に入るとこれを進化させ、双堂の二つ並んだ屋根の上に、さらに梁や束を組み、両者の上に大屋根をのせてしまうというダイナミックな建て方が現れるのです。いわば、屋根の上に屋根が乗っているという構造です。奈良県の当麻寺曼陀羅堂 (たいまじまんだらどう) はこの手法の最初と言われ、今も見ることが出来ます。この曼陀羅堂は奈良時代にモヤ・ヒサシ構造で建築され、平安にマゴヒサシで継ぎ足して礼堂を設け、その後双堂型の手法で「大屋根」が乗せられたと言われています。
なぜこんな面倒な屋根づくりをしたかと言えば、当時はまだ巨大な屋根を支える梁用の木材をそろえることが出来ず、またその道具や技術も未熟だったのです。
室町時代を迎え、ついに太く長い梁を巡らせる構造にたどりつきます。柱は梁を支えるもので、屋根の構造に左右されなくなり、自由に建てることが出来るようになりました。そして不揃いになりがちな太く長い梁を隠すために、ごく一部の建物でしか使われなかった「天井」が普及してゆくことになるのです。
とはいえ、今回ご紹介したのは寺院などの特殊な建築の屋根。次回は民家の屋根である“茅葺き”の仕組みに迫ります!
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