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第 35 回
 住まいのヒミツ
【屋根タイムスリップ (6)】


瓦屋根の主役といえば、棟の端にある「鬼瓦」。高いところから、大きな口をあけ、激しい形相で下界を睨み付ける姿は瓦界の花形。人目を大いにひき、瓦屋根を全体をひきしめる存在です。でも、なぜ鬼瓦なんてものが誕生したのでしょうか? 今回も早速、雑学探検のスタートです!


●鬼瓦って魔よけ意外に意味があるの?


 鬼瓦に「魔よけ」の意味があることは有名ですが、そもそも機能性としては、どうなのでしょうか?
 ズバリ本来の役割は、棟の両端から雨水が浸入するのを防ぐためのものでした。古くは、これを木の板や銅版でふさぐ事も有り、現在の沖縄の民家にあるような、漆喰で塗り固めるだけ、というやり方でも充分でした。でも、屋根の頂上にあって、もっとも目立つ場所だから、「ここはカッコイイデザインを」と意匠が凝らされ、誕生したのが鬼瓦などの装飾だったのです。

●鬼瓦のルーツは大食い怪獣

 鬼瓦の模様のルーツは、中国殷代 (紀元前16~11世紀) の祭祀に使われた青銅器の文様だとされています。これは、顔面がほとんど口と目ばかりの四肢を広げ身構えた獣の姿が描かれていたものだそうで、中国では「大食いの怪獣」とされ、邪を払う力があると考えられていました。
 これを建築の装飾に取り入れたのが始まりです。つまり、鬼瓦のルーツは“獣 (けもの)”であり、“鬼”ではなかった訳です。その証拠に、中国・朝鮮の瓦に鬼のような文様はあまり多くありません。また、私たち日本人が思うような「鬼瓦が家を守る」という意識はあまり強くないようです。
 ではなぜ、日本では鬼の顔を描いた「鬼瓦」が普及したのでしょうか?

●日本人にとっての鬼

 様々な童話や民話に登場するように、日本人にとって鬼とは「邪神」であると同時に、「身近な神様」でもあります。味方につければ、その形相で、魔をよけ、厄を払ってくれる。また、鬼は“力や富の象徴”としての意味もあり、守護神的な存在でもあったわけです。日本人は農耕民族であり、定住生活を送ることが多かった民族。だからこそ家は大切な財産であり、中でも屋根は雨風をしのぐ重要な存在でした。そこで鬼を屋根に配することによって、屋根を守る=家を守る=家族を守るという願いが込められ、それが「鬼瓦」として全国に浸透していったのでしょう。

●鬼瓦のデザインの変遷

 鬼の顔の模様を取り入れた鬼瓦が広く使用されるようになったのは奈良時代といわれています。最初は平面的な面構えの鬼瓦でしたが、平安時代になると鬼の顔は立体的に盛り上がり、次に角が生えた彫塑のような鬼瓦も登場します。さらに宝町時代以降は、浄土宗の普及もあり、地獄の観念の影響から、角が2本になったり、鼻、口が大きく激しいデザインになったりします。また鬼の顔の回りの装飾化も進み、時代が下るにつれ足元も発達し、雲型や波型などの装飾も配され、巨大な棟端飾りが作られるようになりました。
 ここまで派手になると「ちょっとねぇ」という人も現れます。しかも江戸ともなれば、庶民の家も瓦屋根になり始め、安価でシンプルなつくりの鬼瓦も求められるようになりました。そこで登場したのが、鬼瓦の部分に鬼を描かず、家紋を入れたり、防火のために“水”という字あしらうなど、鬼不在の鬼瓦でした。事ほど左様に、鬼瓦も時代の流れによって、様々に変化を遂げてきたのです。

鬼の顔が彫塑のようなタイプ
鬼の顔がレリーフのようなタイプ
防火のための「水」や屋号など
家紋・文様・職業に関するマークなど
動物や植物、七福神など
●権力の象徴でもあった鴟尾や鯱

 実は、屋根の棟端を飾るものとして、鬼瓦より古いものがあります。それが、名古屋城の「金の鯱」でも有名な「鯱 (しゃち)」や「鴟尾 (しび)」と呼ばれるものです。
 最も古いのが「鴟尾」で、大棟 (屋根の頂上部分) の両端を強く反り上げるデザインのものでした。これも一種の魔よけとして屋根に置いたと考えられていますが、寺院や宮殿などに採用されるもので、身分の低い家にはつけることが出来なかったようです。この魚の尾を思わせるカタチが変化をとげ、「鯱 (シャチ)」と呼ばれる魚型になっていったのです。これはインドに伝わる敵を防ぐ力を持つ怪魚「マカラ」が起源とされていて、インドではこれを門や入り口に飾っていました。このマカラ思想が中国を経て日本へと伝わってきたのです。
 日本でこれを最初に取り入れたのは、やはりこの人、織田信長。安土城だったと考えられています。鯱は権力の象徴として主にお城に採用され、一般階級の武士や庶民の家につけることはできませんでした。もちろん現在は、金の鯱をつけるのも自由。でも、ちょっと派手好みに見えるかもしれません。

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