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住まいと暮らしの雑学探検隊
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大工道具タイムスリップ (2)
第 43 回
住まいのヒミツ
【大工道具タイムスリップ (2)】
引き続き、住まいを作り上げるのに大切な「大工道具」タイムスリップです。その昔、大工道具の三種の神器と呼ばれたものがありました。それは「釿 (ちょうな)」「曲尺 (さしがね)」「墨壺 (すみつぼ)」の3つ。これらを使いこなすことが、大工さんの基本とされ、着工式には儀式用に作られた大工道具三種の神器を祭壇に祭るということも行われてきました。
●神器その(1)
釿 (ちょうな) の熟練技術が建物の強さを生んだ
【釿】は、横から見ると先端がUの時になった柄に、ノミのような刃をつけたもので、大工道具の化石といわれるほど古くからある道具です。切り出した木材の表面を削ったり、整えたりするのに使われました。いわば、鉋 (かんな) の先祖のようなもの。丸太から角材をつくったり、柱と柱の接合部の凸と凹 (別名:「ほぞ」と「ほぞ穴」) を削り出したりする釿がけ (ちょんなかげ) は、大工さんの技量が物を言う伝統的技法。特に釘のない時代は、木組みが基本です。熟練が削った「ほぞ」部分は、まるで呼吸をあわせるがごとく、力強くかつがっちりと組まれ、建物の強さを生んだのです。
古い建物の年代を割り出す際、梁の“ちょうな仕上げ”を見て、その削った痕から、技術力や流行をみて判断する、ということもあるそうです。
●神器その(2)
曲尺 (さしがね) は聖徳太子の時代にやってきた
L字形の直角定規と物差しを組み合わせた計測度具、【曲尺】。直角を見たり、細かな長さを測り、墨で線をひくために使用するもので、聖徳太子が玉造に四天王寺を建立したときに唐の工人がもたらしたものと言われています。
その目盛りは今でこそセンチやミリなどのメートル法ですが、当時から昭和35年の廃止まで、尺貫法でした。ちなみに尺貫法は、その基本が中国から伝わり、日本人の背丈に合わせて定まった寸法。背の高さは「一間」ひじから手首までを「一尺」というように日本人の体から生み出されたものでした。このような寸法は世界各地にあって、「インチ」という単位もそのひとつです。
曲尺は、表と裏は違う目盛りが記されているのも特徴で、表は通常の目盛り、裏には√2倍した目盛り (勾配を計測するのに使用) や、円周率倍した目盛り (円形部材の直径に当てると、外周の長さがわかる) などが刻まれていました。聖徳太子の時代には変な漢字が書かれている曲尺もありました (現在も台湾などで使用)。これは「吉兆尺」といって、縁起の良い寸法 (財・義・官・吉) と悪い寸法 (病・離・却・害) が書かれたもので、仏像を作る際に計る (縁起のいいものとして) 基準に使われたという説もあります。
●神器その(3)
長い直線を引く魔法の道具「墨壺 (すみつぼ)」
【墨壺】とは、簡単に言えば二点間に直線を引くための道具。前記した「曲尺」と共に、木材を加工する際に長さ等をはかる「墨掛道具 (すみかけどうぐ)」のひとつです。
現在では、2×4やプレカット加工といわれる“工場であらかじめ建材を加工、現場でそれら部品を組み立てる工法”が主流となり、墨壺の利用は激減しました。単に直線を引く用途に性能を絞った小型のプラスチック製墨壺もありますが、すでに若い世代では知らない人も少なくないようです。
しかし、これほど意匠がこらされ、大工道具として洗練されたものはありません。糸と糸車、墨壺 (別名:池) で構成されていて、古いものはほとんどが木製です。糸車や池の部分に彫刻を施すなど、工芸品、いえ美術品ともいえる墨壺も多いのです。
大工さんたちは、自分専用の意匠のこらされた墨壺 (自分で作ったり、専門の職人に作らせる) を持ち、それを自慢しました。また、「墨壺をみれば大工の腕がわかる」とも言われました。
その使い方は至ってシンプル。糸車に巻かれた糸が池の中の墨を浸した綿を通り、糸に墨を含ませ、その糸を必要な長さに出して指で摘んで打てば直線を引くことができます。「ピシッ」という音がして材木には瞬時に黒く長い線がつきます。まさに「線を打つ」という感じ。打ち終わると車輪のような糸車をクルクル回すと、糸は勢いよくたぐり寄せられて、墨壺のお尻にぴたりと収まる。それは鉋 (かんな) がけ同様、粋でいなせな職人らしい姿でした。
●墨壺のルーツ
墨壺のルーツは古代エジプト時代からと言われていますが、この頃はロープに顔料を塗り、打ち付けて線をひいたようで、墨壺と糸と糸車のすべてを一体化したのは古代中国だと考えられています。
日本では、法隆寺に使われている最も古い木材に、墨壺を使って引いたと思われる墨線の跡があり、この時代から使われたのではないかと、言われています。現存する最も古い墨壺は、正倉院にありますが、明治時代に奈良・東大寺の南大門 (鎌倉時代) の梁の上で見つかった墨壷には素敵なエピソードがあります。それは、この門を築いた棟梁が、この仕事が最後のものと決め、その証とこの門を守り続けて欲しいとの願いを込め、わざと忘れ物のように置いてきた墨壷だと言われているのです。この墨壺、いつしか「忘れものの墨壷」と呼ばれるようになりました。
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