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第 50 回 住まいのヒミツ
【襖・障子タイムスリップ (1)】
襖や障子と言えば、最近では、デザインや日本の風情だけではなく、木と紙でできているために、湿気や空気を通し、適度な保温保冷効果もあるとして、ひそかに注目されているのをご存じでしたでしょうか。しかも貼り替えれば新品同様といいたくなるほど綺麗に生まれ変わり、模様を工夫することで、室内の雰囲気をガラリと変えることも出来ます。専門用語ナットクコラムで【室内建具 (障子・ふすま・ドア)】編として用語や構造などをご紹介しましたが、雑学探検隊ではそのルーツを探ります! |
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●大化改新で入鹿の亡骸を隠した障子! まずは、日本で初めて文献に登場する「障子」を見てみましょう。その文献は「日本書紀」。シーンは、あの中臣鎌足と中大兄皇子が蘇我入鹿を討つ、いわゆる【大化改新】の口火となった事件。宮廷の天皇の前で断行された暗殺を紹介する部分で、 “席障子を以 (もっ) って鞍作 (くらつくり=入鹿のこと) の屍を覆う” とあります。席障子は「ムシロシトミ」と読ませるそうで、シトミとは、日光や雨風を防ぐという意味。つまり、わらなどで編んだ筵 (むしろ) で出来た雨風を防ぐもので、入鹿の死体を覆ったということです。 おそらくは、室内の間仕切りではなく、出入り口か窓に下げていた筵を外し、遺体を覆ったのでしょう。この頃はまだ宮殿でさえも、筵で外部との仕切るのが一般的だったことがわかります。 ●障子は“さえぎるもの”の総称 実は障子という建具も言葉も、古代~中世にかけて、やはり中国大陸から伝わってきました。ただし、私たちがイメージする、木枠に白紙を貼ったいわゆる「明障子」はずっと新しいもので、当時はまだ「障」=さえぎるものとして、垣根・衝立 (ついたて)・屏風・幕などもすべて「障」と言っていました。中でも小振りで移動可能なモノを「障子」と呼んでいたようです。つまり、障子=間仕切りの総称だったのです。だから、大化の改新のそれも、窓や出入り口を仕切る筵の間仕切りという意味で、「障子」の文字が使われたのでしょう。 その後「障子」は屏風などと分けて表現されるようになり、障子のルーツが登場します。 |
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●障子のルーツは、衝立障子
障子の最も古い形式と言われるのは、奈良時代の文献に登場する、細い木製の格子を骨組みとして、その両面に絹布または紙を貼り、衝立式に台脚の上に立てたものです。さらに、布や紙には仏教説話をモチーフにした文様が描かれていて、単なる間仕切り機能だけでなく、部屋を飾る装飾品としての要素もありました。奈良時代は貴族の家であっても、あまり部屋を仕切るものがありませんでしたから、衝立障子や屏風、御簾などが建具として大いに利用され始めるのです。 ●様々な障子が登場する平安時代と襖の誕生 平安になると新たな障子が登場します。その名は「板障子」。これは部屋を仕切る一種の壁のようなもので、柱と柱の間にパネルのようにはめ込む形式。この板にも絹布が貼られ、絵が描かれています。中でも有名なのが、中国の名臣・賢臣の像を描いたもの (賢聖障子という)。これを東西各四間の柱の間に、それぞれ4人ずつ、合計32人をずらりと並べたという記録もあります。機能としては、あくまで壁ですが、儀式の時のみ、はめられる事も多く、舞台装置的に使われたと考えられています。 当時は、絹布を貼るのが主流でしたが、のちに中国の紙「唐紙」が普及します。そこで登場するのが「唐紙障子」です。さらに鴨居と敷居に溝を設け、引き違い式にして開閉出来るようにした画期的な戸が開発され、唐紙を貼った開閉式の障子、「襖障子」が誕生することになるのです。 これが襖のルーツ。そして、現代でも使用される「明障子」が登場するのは、そのおよそ百年後となります。 |
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●明かりを取り込む障子
言うまでもなく襖障子だけでは、閉じてしまうと部屋の中は暗くなってしまいます。そこで誕生したのが、日光の日差しを通す白っぽい紙を貼った衝立でした。 当初は、衝立を部屋の回りに立てることで、適度な明かりを入れながらも、風をしのぎ、部屋を仕切れるものとして重宝されてきました。これが襖障子同様、引き違いの障子として発展していったのが「明障子」と考えられています。 ●余談ですが‥障子に穴をあけた平清盛 障子といえば、幼い頃に、遊んでいた拍子に破いてしまったり、指で穴を開けてしまい、親御さんに凄く怒られた覚えがある人も少なくないのではないでしょうか。 あの平家全盛時代を築いた平清盛にも、「障子の穴開け」エピソードがあります。それは、独立政権を築き、娘の徳子が天皇家に嫁ぎ、盤石の時代を迎えた頃。徳子にやっと子供が生まれ、天皇家との絆も深まり、その子が1歳の誕生日を迎えた時のことです。清盛は我が孫可愛さあまりに、ずっと抱き続け、また孫もいやがらずに喜んでいます。すると、孫は指につばをつけ、障子に穴を! これに清盛は応えるように、自分の指をなめて、となりの障子に穴をあける。すると孫がまた真似をして穴をあける。もうこれだけで、清盛は涙を流して歓び、この明障子を奥の倉に大切に納めておくようにと、家来に命じたと言います。 爺馬鹿ぶりを発揮した微笑ましい話であり、高価な明障子で遊ぶ、平家の隆盛を語るものでもあり、また「明障子」の今後の普及を感じさせるエピソードでもあります。 |
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