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第 51 回
 住まいのヒミツ
【襖・障子タイムスリップ (2)】

 引き続き、襖・障子タイムスリップです。今回は、「襖」の語源と襖絵のエピソードに迫ります!
●襖の語源はパジャマや布団?

 「襖」と言えば、桟格子を組んだ上に紙の下貼りをして、表に絹・布、あるいは、紙を貼った開閉の出来る障子のひとつ。障子は「さえぎる」モノの総称だったことは前回も紹介しました。では「襖」という名はどうしてついたのでしょう? 実は、その語源は「布団」であるという説があるのです。
 東大寺の大仏が建てられた、8世紀頃にさかのぼってみましょう。まずは当時も使われていた「襖」という字に注目。「襖」は、本来、「袷 (あわせ)」の上衣をさすもの。衣に燠 (いく・おう) の“あたたかいという意味”を持たせたものです。その昔は、綿入れや袷の上衣のことを「襖 (おう)」と言っていました。この頃の文献にも、役人に支給する衣料のための布・綿を準備した記録の中に「襖子 (おうす) 九十一領」とあり、これは綿入れの上衣用の襖を91用意したということ。
 ところが当時は「フスマ」とは読みませんでした。フスマとは「衾」という字を書き、寝間着や夜具を表す言葉だったのです。ではなぜ“襖”と“衾”が交わり、襖障子の「フスマ」になったのか‥。

●風や寒さを防ぐ、寝室用の建具=フスマ


 まず、昔の寝具は、綿の入った袷を寝具用に大きくつくり、肩まですっぽり入る袖付きの上掛け、いわゆる「掻巻 (かいまき)」が一般的でした。お年を召した方ならご存じの、着物のような形をした布団です。この上衣のような寝具「衾」が、綿入りの上衣をさす「襖」と交わり、どちらも“ふすま”と呼ぶようになったのです。
 また寝る所には、風や寒さを防ぐための衝立を立てるのが一般的になっていきます。布団の「フスマ」は絹で覆われていて、時に綺麗な刺繍がされていることもありました。一方、この衝立にも絹や布が貼られ、装飾が施されていました。寝る時に、布団同様に寒さを防いでくれる‥。そこで、この衝立を「フスマ」と呼ぶようになり、「襖」の字が当てられた、と考えられているのです。
 この衝立が引き違い戸になり、そして「襖障子」になったのです。フスマは、寝室用の建具から始まった呼び名なんですね。

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●見事な襖絵には、命も宿る?
    雀がいなくなった知恩院のフスマ


 開閉が出来て、個室を簡単に作れ、自由に出入りが出来る「明障子」や「襖障子」。また、場所をとらない引き違い戸は、回転式の戸とは違い、普及し始めた畳に引っかかることもありません。さらに、建具として比較的軽量なので、場合によっては簡単に外して隣の空間とつなげることも出来、急速に普及していきました。
 特に貴族や権力者の間では、襖障子に絵を描いた「襖絵」が流行。宮廷にはお抱え絵師もいて、豪華な襖絵がいくつも描かれました。
 「襖絵」は、屏風絵から始まった装飾ですが、単体ではなく、次の間との連続性や、襖をあける事によって風景が変わるなど、空間芸術として発達していったのです。そしてたくさんの著名な絵師を輩出しました。中でも面白いエピソードを持つのが、徳川家光が建てた京都・知恩院の「抜け雀」と言われる襖絵です。
 これは、大方丈の菊の間の襖に、絵師・狩野信政が描いたもので、万寿菊の上に数羽の雀が描かれていました。ところが、あまり上手に描かれたので雀が生命を受けて飛び去ったといわれているのです。なんと、現存する大方丈の襖絵には飛び去った跡しか残っていません。もちろん、これは絵師の見事さを表す逸話でしょうが、「襖障子」が単なる建具ではなく、芸術品のひとつでもあったことがわかるエピソードです。

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●火事になると、襖を持ち出す?
    庶民には高価だった襖障子


 しかし、それだけに「襖障子」は庶民にとっては高価なものでした。絵は描かれていなくても、下貼りをして、さらに上に絹や布・紙を貼った襖障子は、「明障子」のように、破れたらそこを和紙で覆えば応急処置が出来るというものではありません。例えそうしても、みすぼらしくなってしまいます。
 明障子を破いてしまっても軽く怒られるぐらいだったのが、襖に穴をあけたりすると表具屋さんを呼ばなければならないので大目玉をくらった、なんて思い出がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 江戸時代の頃さえも、「襖障子」は武家や貴族、商家や庄屋さんの邸宅、また大きな旅籠にあるぐらいで、長屋や庶民の家には明障子ぐらいしかありませんでした。大店の商家さえ、火災になると家財として、襖を持ち出したというエピソードが残っているぐらいです。
 時代劇などで、貧乏長屋にも関わらず、襖があったら、「これはおかしい設定だぞ」と思ってもいいかもしれませんよ。
 次回は、そんな「明障子」や「襖障子」をつくる職人にスポットを当てます!
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