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襖・障子タイムスリップ (4)
第 53 回
住まいのヒミツ
襖・障子タイムスリップ (4)
【雨戸のお話】
一雨ごとに、春の兆しを感じる季節になってきました。冷たいながらも、あの雨音は春の足音と言えるかもしれません。その昔は、台風はもちろん、強い雨が降ったり、寒さが厳しいと雨戸を閉めたりする家が少なくありませんでした。雨風をしのぐだけでなく、木材で出来た雨戸は保温・保湿の力もあり、暖房費の節約や防犯にも役立っていたのです。
そこで今回は、襖・障子タイムスリップの番外編として、「雨戸」についての雑学に迫ります。
●雨戸で一触即発? 家康と信長
まず、雨戸はいつ頃誕生したのでしょう? 杉板などの板戸は平安時代以前からありましたが、明障子の外に雨風をしのぐための戸を設けるという仕組みが登場したのは、戦国時代以降と言われています。
実は江戸時代の建築書に、こんな雨戸のエピソードが書かれているのです。
時は戦国時代真っ只中。登場人物はなんと「織田信長」と「徳川家康」。
ある時、家康は京都に進出した信長の宿所にやってきました。天下統一を達成しそうな信長のご機嫌伺いに家康は訪れたのでしょう。しかし、織田と徳川は同盟を結んでいるとはいえ、下克上や裏切り、謀略が錯綜する時代。互いの腹をさぐり合いながら、今後の事などについて会見が行われました。
夕暮れとなった頃、突然京の町に強い雨が降り始めます。すると、織田家の面々はこの雨をしのぐために、宿所の雨戸を戸袋から出して閉めはじめます。その物音が騒々しいのはもちろん、雨戸に雨が当たる音は「ダンダンダン」と思いの外、激しいもの。
これはまずいと気づいたのは、感覚鋭い信長でした。直ちに家来を呼び、この物音は謀略でもなく、ただの雨戸の音であることを家康の供の者に大至急伝えるよう命令を下したのです。
信長の家来が、急ぎ外に走り出てみると、果たして家康の家来衆はすでに臨戦態勢。この物音は我が主君、家康暗殺計画であると勘違いし、今にも母屋に踏み込もうとしているところでした。
このエピソードの真偽のほどは定かではありませんが、家康勢がその存在を知らなかったほど、まだ「雨戸」は普及しておらず、秀吉時代以降に広まってゆくことを伝えるために書かれたと考えられています。
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●「揚げ彫り」に「地震口」 雨戸の工夫
戦国時代以降、明障子の普及と同時に、雨風を遮り、盗難防止にもなる雨戸は、次第に庶民の家にも普及します。その過程では色々な工夫がなされました。
例えば、雨戸の鴨居の特定の場所の上ガマチに深い溝を彫ると、雨戸をその場所でのみ取り外すように出来ます。その名も「揚げ彫り」。それ以外の場所ではしっかり雨戸がはまるようにしてあり、暴風や盗賊の侵入をさける意味でとても有効でした。
また、小さな出入り口を一枚の雨戸に設けることもありました。その名も「地震口」。昔から、暴風対策・防犯対策に優れていた雨戸でしたが、いざ室内の者が逃げるとなると、その良さが仇になることが少なくなかったからです。
また、雨戸の上部に細い開口部が作られることもありました。これは高温多湿の日本の真夏対策。真夏に強い風雨を遮るために雨戸を閉め切ると、その蒸し暑さはまさに地獄。そこで、屋根の庇により雨の吹き込みにくい雨戸の上部のみ、通風のための開口部をつくったのです。
戸袋も改良が加えられます。何枚もの雨戸を出し入れする際、隙間から手を入れて引き出すのは面倒なもの。そこで、戸袋の室内側に小さな穴や小窓を設け、出すときは、そこから手を入れて雨戸を引き出し、仕舞う時はその穴から雨戸を奥へ押し込み、次の雨戸が入りやすくするようにしたものも出来ました。
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●北には少ない雨戸
近代に入っても、九州地方や四国などでは、住まいづくりの中で雨戸は必需品でした。それは台風対策のためです。昔は今以上に、強風で様々なモノが飛んでくる事も多く、普及し始めた窓ガラスを守るためにも、雨戸はなくてはならない存在だったのです。
逆に、雨戸の重要性が薄れていったのが、東北や北陸などの雪国です。なぜなら、雨戸の溝が凍結すると、簡単に開くことが出来なくなるからです。
現代では、アルミサッシやペアガラスなどの普及で、「雨戸は必要ない」というお宅も増えているようですが、様々な素材の雨戸やブラインド式の雨戸も登場し、その地域や使い方にあった雨戸が選べるようになりました。もちろん開け閉めもスムーズで、音も静かになりました。
住まいづくりの際は、冷暖房を効率良く使うために、また防犯対策のために、「雨戸」の便利さを、もう一度考えてもいいかもしれません。
●日本の朝の音だった雨戸
最後に、大森貝塚を発見するなど、日本の考古学の基礎や住居に関する民俗学的文書を多数記したエドワード・モース (明治時代に来日) の「雨戸」についての記述をご紹介しましょう。
“雨戸は日本の家屋の中で騒音を出す点に特色がある。それも、朝になって雨戸が戸袋に納められる時に出る音は、目覚ましのベル、またはドラのようだ‥。”
雨戸の音は、日本の朝の風景の音であり、その日の生活の始まりを告げる音だったんですね。モースにとっては、少々うるさかったようですが‥。
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